2007年02月06日

マックス・ヴェーバー

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 不二家、関西テレビ、パロマ、三菱自動車、シンドラー社、雪印、耐震偽装設計などなど、数え上げればきりがない。職業人の自分の仕事に対する倫理観というのはいったいどこからくるのだろうか。姉歯建築士は何のために働いていたのだろうか。家族のため、会社のため、自分のため、社会のため?
 そんなことを考えていた時に出会ったのがこの本。質素、倹約、清貧を旨として営利を嫌ったピューリタンの経済倫理がいつのまにか利潤を追求する近代資本主義の形成に大きく関わってくるという皮肉な逆説。自分の職業を「神に与えられた使命=天職」と考えうる人々の存在なくしては近代産業は成り立たなかったのではないか。なるほど。では日本型の資本主義社会においては神様の代わりになるものは何だったのだろうか。
 まだ全部読み終えてないがいろんなことを考えてしまってなかなか進まない。まあ春ごろまでには終わるかな。タイトルは難しいが訳文が見事なので読みやすい。
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」マックス・ヴェーバー著 大塚久雄訳

投稿 : shuzo MARUTA : 2007年02月06日 23:58
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