物部守屋は仏教導入をめぐって蘇我馬子・廐戸皇子(後の聖徳太子)らと争い、587年に敗死。その後、物部姓は日本の正史からは消えるがその類縁は名をさまざまに変えて生き延びたのではなかろうか。守屋、守矢、守谷などのモリヤ姓はその流れではないかと思うのだ。