「グローバル資本主義は国家を超える」などと両者は対立して描かれることが多いけれども、一人の個人からみればどちらも雲の上の鬱陶しい存在。そこでグローバル個人主義という言葉を思いついた。グローバル家族主義ならば華僑のイメージだがそれからさらにすすんでグローバル個人主義。個人として世界を棲家とする生き方。日本でもこれから増えてきそうだ。