初日

 tamaishiの花器にアヤメ(アイリス)を垂直に立ててセッティングしてみた。光琳の燕子花図屏風をちょっとだけ意識したかな。生花の扱いには慣れてないので花が開いてくれるか不安だったけど一晩でこれだけ開花。今回も植物パワーに助けられてる。

白の起源

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 現代では身の回りに白は溢れているけれども自然界には意外に少ない。空に浮かぶ白い雲、空から舞い散る白い雪、高峰の冠雪、あるいは夜空に瞬く銀の星とか。いっぽう地上には少ない。たまに白い石ころを見かけるくらいか。とするとやはり白は天上の色と言えそうだ。
 その手の届かない天上の白を人々が欲しがるようになるのはいつごろのことなのだろうか。そしてその背景にはどんなことがあったのだろう。

里芋

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 秦野の農産物直売所で買ってきた里芋。何もつけなくても蒸しただけでおいしい。このあとストーブの上で軽く焼いたらさらにおいしい。寒中有楽。鉢は鵬志堂イサム氏作。酒盃は一昨日買ってきた山本安朗氏の作。そして片口は今年最初の拙作。酒の切れを良くするために注ぎ口の先にプラチナを焼き付けてみた。効果はあるかな?

オパール2 

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 やきものの青磁はオパールなどの宝玉のイメージによって大きく発展した。たしかに玉石を削って器物を作るより土を成形して作ることができればそれに越したことは無い。早く安く大量に作れてしかも大きさや形の自由度も高い。つまり青磁は玉器のイミテーションとして発展したともいえるだろう。
 陶磁史の中で青磁は緑から薄青の乳濁した色彩が主流になってきた。いはゆる青磁色。この流れは今の時代でも変わっていない。しかしどうなんだろう、現代作家の青磁を見ているとどうも従来からの青磁にこだわるあまりちょっと袋小路に陥っているように思えるんだな。目標を見失っているような。ここでもういちど玉のイメージに戻ってみてはいかがだろう。多種多様な色彩、色調があってヒントは無数に得られるはず。

石景3

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 今回のイベントに向けて少し解説的な文章を書きました。

「石景 城山庵」に寄せて

 浜辺を歩くときの楽しみの一つは石ころ探しです。探し、と言っても具体的に何かを探すわけではなくただ、あれこれと眺めているだけなのですが。
 色や形、模様など大小さまざまな石ころたちがひしめいていて時のたつのも忘れてしまいます。
 一つひとつの石の来歴をたどれば数万年、いや数億年という途方もない時間を遡ることになります。それほどの時間を過ごしてきたものたちが今、目の前に在るという奇跡。しかもザクザクと。
 
 やきもの制作の過程も実はこれらの石ころの歴史とつながっています。
 地球内部から上ってきたマグマが地中でゆっくりと冷えて岩石となり、それが風化されて石ころよりはるかに小さな粒子となって風や雨に流され水中にゆっくり堆積したもの、それが粘土です。
 やきものはその粘土を人間の手で成形し、熱を加えることで再び新たな石、岩、あるいは鉱物としてよみがえらせる作業ともいえます。

 億という年月を経て繰り返される大地の循環。それに比べて人の生のなんとはかないことか。しかし、やきものを造るという作業を通して大自然の悠久の時間の流れを知り、その一端に触れることができるのは大きな喜びであり、また安らぎでもあります。