新聞を取らなくなって10年以上経つ。きっかけがなんだったのかよく覚えていないがいろいろと不満があったことは確か。まず新聞用語だらけの日本語がつまらないこと、それから記事に署名がないこと。誰が書いたものか分からない文章など読む価値があるだろうか。
「天声人語」、あらためて見るとすごいタイトル。「天の声を人が語る」もしくは「人(庶民)の言葉こそ天の声」。どちらにしてもこのコラムの筆者は自分を偽っている。彼は天の代弁者ではないし、かといって庶民でもない。こうした傲慢さも新聞が嫌いな理由の一つ。
もしかしたらこれは一種の宗教といえるかもしれない。お布施(購読料)を払った家には毎朝「天の声」が届くわけだ。
新聞を読まなくなって何か不都合なことがあったかといえば、まったくない(と自分では思っている)。新聞は今や焼き物の梱包材くらいにしか思えなくなっている。