中国陶器の精華ともいうべき端正な青磁、天目。日本桃山期のエネルギーを髣髴とさせる志野、織部、灰釉。岡部嶺男の作品をこれだけ集めた展覧会はおそらくこれが初めてだと思う。確かな技術の上に伝統を越えていく造形力。どれもレベルが高い。
ただ以前から気になっていたのが写真のバックにも写っている縄文をたたきつけたシリーズ。自分の体重と同じくらいの粘土のかたまりに向けて縄目をたたきつけている。解説によれば野球のバットくらいの木を使っていたらしい。土を叩くという行為は裏返せば自分自身を打ちすえる行為でもある。それほどの葛藤がいったいどこからくるのだろうか。
そうした疑問に対するヒントのようなものをこの展覧会では知ることができた。それは彼の戦争体験。図録の年表から抜粋してみると
昭和15年 太平洋戦争始まる。東京物理学校(現・東京理科大)を中退。窯業学校時代から描いていた油絵をリヤカー3台分焼却して入営。1944年(昭和19年)まで中国山西省各地を転戦。
昭和19年 フィリピンへ転戦。マニラに上陸。弟・四郎が学徒動員中に名古屋の空襲で爆死。
昭和20年 ルソン島で米軍に敗北、仲間9人とジャングルに逃げ込む。決死行で5人だけが生きのびる。8月、敗戦。米軍の捕虜となり、マニラ郊外の捕虜収容所で1年4ヶ月を過ごす。弟・裕、中国にて戦死。
昭和22年 復員
戦争で二人の弟を亡くし、そして自らはおそらく何人もの敵兵を殺したであろう6年余の歳月。縄文シリーズを読み解くカギはここにあるように思う。
岡部嶺男展 東京国立近代美術館工芸館(竹橋)にて5月20日(日)まで。
いま憲法改変の動きがあわただしい。しかし議論の前に我々の世代は憲法9条に守られてきたということは確認しておきたい、そしてそれは幸いであったということも。これを変えると言うならばそれ相応の覚悟が必要だ。(5/12 追記)
縄文シリーズについて「気になる」と書いたが、正確にいえば青磁や天目の完成度の高さに対して縄文シリーズは表現が生(なま)。このギャップが気になる。
一人の作家が抱え込んだこれだけの振幅のずれ。この大きな揺らぎのなかに岡部嶺男という人間が見えてくる。(5/12 追記)