2005年11月05日

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 女性を花にたとえるのは美しき伝統というべきもので、そのことにはなんら異論はない。源氏物語ならば夕顔とか藤壺。現代ではさくら、ゆり、すみれなど花の名前をもつ人は多い。しかしこれが男性の場合になるとかなり様相が違ってくる。
 たとえば「同期の桜」

♪貴様と俺とは 同期の桜、、、見事散りましょ 国のため♪

 あるいは唐獅子牡丹やら江戸時代の武士と椿など。なんだか妙に血なまぐさいことになってしまうのだ。今の時代にこういう歌が出てくるというのは裏にいる仕掛け人の存在を勘ぐってしまうのだが、考えすぎだろうか。
 「地獄への道は、善意で敷き詰められている」(レーニンの言葉)-副島隆彦のサイトより-
 戦前の日本の歴史を作ったのは軍部だけではないだろう。おそらく花を愛する心やさしき多くの人々が彼らを支えていたに違いないのだ。この歌は21世紀版「同期の桜」になってしまうかも。また明日に続く。

投稿 : shuzo MARUTA : 2005年11月05日 23:34
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