時計、指輪、眼鏡、カメラ、楽器、車、服、絵画そして焼物などなど。日常をいろどるさまざまなモノたち。それぞれのモノに対する人の思いや愛着というものは当のモノたち自身にも何らかの影響をおよぼしているのではなかろうか。人と関わることでモノも磨かれ成長していくのではないか。たとえば代々受け継がれてきた名物茶碗を前にしたとき、感じるのは美しさというよりは智恵深い古老に会ったような感覚。
モノはモノであってモノではない。モノは遍歴を繰り返すたびに磨かれていく。使わないモノ、使わなくなったモノたちは思い切って人の手にゆだねたほうが良い。モノにとって最大の不幸は押入れに仕舞いこまれることなのだから。
かわいい子供には旅をさせよう。かわいいモノたちにも旅をさせよう。
「シークレット・ライフ」 ライアル・ワトソン著 内田美恵訳 筑摩書房
投稿 : shuzo MARUTA : 2007年05月18日 23:43僕の考えてることに近いから。と、飲み屋のママさんに薦められて、この本読みました。
生命に対する興味や視点で、たしかに近い物を感じました。科学者でありながら、想像力で考えているところが多く、その点でも共感しました。
科学者は実験や分析により「科学である」ということにしますが、それだけでは宇宙や生命を観察することはできないですから。やはりトータルに見つめる視点が必要になります。科学者は顕微鏡のなかで分析しますが、やはり絵描きのように「対象物から距離をおいてボー−ッと観つめ直す」時間が必要なわけで・・・。
またカエルを顕微鏡で分析するためには、いったん殺さなければならないが。それは生きているカエルではなく、死んでいるカエルなわけで。
絵描きの仕事は、カエルを生きたま「生け捕り」にすることだろうと思
うんです。
その意味で、ワトソン氏はアーティストの視点も持ってるんだなと思いました(科学者たちの間では「いかがわしい」と思われているんだろうなとも思いますが)。
あらら、文章を書く前にコメントをいただいてしまった。何度も書き直してるうちに収拾がつかなくなってしまったんですよ。情けなかー。あいかわらずスローライフでやっとります。
コメント by: shuzo MARUTA : 2007年05月22日 02:19