午前中は晴れ間も見えていたのに午後からは曇り。台風の影響なのか風も強くなって冷えてきた。南の方角からは放射状の雲。不穏な週末の予感。
ホームページのサーバーを移すことにした。わりと簡単に考えていたのだが始めてみたらとんでもなかった。大仕事。手引書やwebの情報などとにらめっこしてもまだ埒があかない。久しぶりにこんなに集中して勉強している。でも終わったらみんなすぐに忘れてしまうだろうな。
晴れた秋空に夕焼けが赤い。赤すぎる?あの鉄塔の下はトンネルとなって新幹線が走っている。
朝晩は冷え込むようになった晩秋の畑で濃い緑色に茂っているのはブロッコリー。葉は厚みもあり量感たっぷり。その真ん中に黒いほどの緑の塊。あまりに見事だったのでいただく前に記念写真を撮っておいた。
茹でてから酢味噌で食べるのが好みなのだが、これは何もつけなくても塩茹でしただけで十分だった。
10月28日に酷評してしまった「菊姫」だがあらためて味見をしてみたら臭みが減り、落ち着いていた。これなら飲める。ちょっとだけ訂正。
もうずいぶん昔のことになるが野沢温泉にスキーに行ったとき、初めて「おやき」というのを知った。専門の売店があり野沢菜、かぼちゃ、茄子などを包んだおやきを売っていた。温泉とスキーとおやき。野沢といえばこの3点セットをすぐに思い出す。
今夜は蕎麦粉を使ったおやきというのを初めて作ってみた。小麦粉を3割ほど入れて固めに練った生地に、切干大根を入れ、ごま油でからっと焼いた。
見た目は良かったけれども味はいまいち。味が薄かった。おやきはかなり濃い目の味付けがよろしいようで。また次回。
真鶴には生簀が多い。漁港があって岩場もあるので魚の種類は豊富。ちょうど三浦半島に似ていると思った。この縞々の魚は石鯛?釣り人には人気のある魚だがまだ食べたことがない!そしてこの生簀の底には伊勢海老もびっしり。
今回は魚料理には縁がなかったが、次回は魚だけを目当てに(それと温泉)また歩いてみたい。
海風が強く吹く中、真鶴半島を歩き回ってきた。一周10キロもないくらいの小さな半島だが上下差があり相当な運動量になった。
夕方からは海辺のレストランでボジョレー飲み放題。実はこれにつられて行ったわけ。味は新酒にしてはいい出来。コクなどは望むべくもないが、それでも飽きることはなかった。
窓から見る伊豆山の夕焼け。正面が熱海、右手には湯河原。ライトの量だけからすると最近は湯河原のほうが元気がいいようだ。
新潟のコシヒカリ玄米をもらったのでこのところ玄米ばかり炊いている。使っているのはおかゆ用に作った土鍋。実はこれがなかなかいい。水加減や火加減を工夫して何回か炊いてみたが、いつもふっくらとやわらかく炊ける。我ながら感心。いままで玄米というのは固くてごわごわした印象が強かったのだが、見方が変わった。圧力鍋で炊いたのとは味も違うような気がする。
この形の土鍋はいままでは「お粥鍋」としていたが「お粥&玄米鍋」と呼び方を変えようかと思っている。12月のshopに間に合うかな?
広田行正、千悦子夫妻から共著になる新刊「湘南ちゃぶ台ライフ」が送られてきた。東京から海の見える家に越してきた家族の生活誌。
かつては日本中どこにでもちゃぶ台があった。それがいつしかテーブルやこたつに変わり、部屋の用途が固定化され、空間を自在に使い切る知恵もなくなった。
湘南といえば洋風の生活を連想する人が多いかもしれないが、ところがどっこいちゃぶ台は生きている。近くの知り合いにも何人か使っているひとがいるが、共通しているのは部屋が片付いていること。無駄なものがなく、掃除が行き届いている。モノが暮らしを変える、ということも言えるかな。
それにしても広田さんの写真は本職だけあって(水中写真家)どれもうまい。奥さんの文章も肩の力が抜けていて感心。湘南的スローライフを知るには絶好。教えられることも多い。うちも引っ越したくなってきたな。
箱根の山はいつ見ても不恰好。右手には富士山や大山という形の整った山があり、左手には伊豆半島のなだらかな山並みが続いている。それらの安定した山々の中で、この異様ぶりは目立つ。特に夕陽が沈んだあとはシルエットになって強調されるのでなおさら。しかし見方をかえればエネルギッシュなちから瘤の塊のようでもあり、その緊張感が一帯の風景や風土に一種の若々しさを与えているのかもしれない。
ホームページを開設してから丸2年が過ぎた。きょうから3年目に入る。我ながらよく続いたものだと思う。
さて、しかしこの先はどうなることやら。中身のなさはあいかわらず。キーボードも一向に上達しない。
そろそろ変化が欲しいところではありますが、とりあえず今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
このあたりの浜は遠浅ではないので海水浴には向かない。そのため夏でも人は少なく、投げ釣りをする人がぽつりぽつりといるくらい。他には犬の散歩やウォーキング。砂浜は骨や関節への負担が少ないのでリハビリにもいいようだ。
写真の舟は廃船ではなく地引網で使うもの。以前、この近くに住んでいたころには何度か引いたことがある。いろんな魚が入っていたけれども、多かったのはシラスやアジ。バケツを持っていくと帰りには少しだけ分けてくれた。
気持ちのいい秋晴れ。昨日にくらべると風もなく、空気もからりと乾いて澄んでいる。気温も高く、窓を開け放っても寒くはない。
2週間ほど前からとりかかっていたパソコンの引越し(中身の)がようやく終わった。4年近く使っていたマシンがそろそろ限界で動きも遅くなっていたのだ。知らぬ間にゴミのようなファイルがいっぱい増えて身動きがとれなくなっていた。
大掃除といっても限界がある。で、最後の手段はやはり引越し。住まいもパソコンも同じかな。
相模湾沿いの浜辺は東と西で様相が異なる。大磯港を境にして東の平塚、茅ヶ崎、藤沢、鎌倉の海岸は砂浜。それに対して西側の大磯から二宮、小田原にかけては写真のような小石混じりの浜辺となる。
今日は季節はずれに暖かい日曜日。近くの農協の売店まで野菜を買いに行ったついでに浜に出てみた。風が強く、波も荒れていたが久しぶりに浴びる波しぶき。一時間ほど歩いたら漬物みたいに全身塩まみれになってしまった。
ようやく晴れ間がみえた。早起きして雑用を済ませ、少しだけ朝の散歩。気圧が高いと人も活動的になるのかな。空には放射状の雲があちこちから出ている。しかし明瞭な地震雲らしきものは確認できなかった。
ところが暗くなってから紀伊半島沖でM6.5。しかも不思議なことに揺れたのは関東地方が中心とか。珍しいことがあるものだ。
選挙の結果はなんだか中途半端。まだまだ変わりたくない人が多いということかな。今日の空と同じくどうもすっきりとしない。
朝顔が咲いた次の日からぐっと冷えてきた。そして今日は冷たい雨。これまで暖かかったので油断していたらいつの間にか体が冷えきってかたくなっている。この秋はじめてストーブを焚いた。
今日は久しぶりに晴れ。早起きして外に出てみると、なんとまだ朝顔が咲いていた。明日は立冬だというのに季節がおかしいのか、それとも花のほうが強いのか。
今度の日曜日は衆議院選挙。支持する政党や候補者がいるわけではないのだが、今のままではいけないとも思う。
ブッシュは911事件をきっかけにテロ組織を敵として危機感を煽り、人々の愛国心に訴えてアフガニスタンでもイラクでも戦争を始めてしまった。
コイズミは拉致事件をもとに北朝鮮を敵として危機感を煽り、いつのまにか自衛隊を軍隊として使い始める。やりかたがよく似てるなァ。これって、盗作?それとも古典的な政治手法なのかな。マスコミの使い方までそっくり。へたをするとこんなこと言っただけで北朝鮮の手先とか非国民とか言われそう。怖っ。
とにかく日曜日は必ず投票所へ行き、意志の一票を入れてくるのダ。
ダリウス・キンゼイは20世紀初頭のアメリカで森林伐採に関わる人々を精力的に撮り続けた写真家。「森へ」と題された写真集には奇跡的に保存されていたガラス乾板から再生された彼の作品が集められている。
鋸と斧だけで直径数メートルもの大木を次々と切り倒していく男たち。日本であれば御神木となるべき大木の森がこうして消えていく。大きな切り株の中には下をくり抜いてそのまま住居になっているものさえある。縄文杉の比ではない。これが資本主義によるアメリカの開拓だ。
人間の意志と欲望のすさまじさ。と同時になすすべもなくそれを受け入れ、失われていく森の痛ましさ。人間の営み。森の営み。生まれてはいつか死にゆく生命の悲しさ。言葉では伝えきれない写真の力がここにある。
日曜日に大根をもらったので切り干しにしようと思ったら二日続けて雨や曇り。おかげで乾燥する前に黒く黴びてきてしまった。干物作りは天候しだい。最近、天気予報とその精度が気になり始めた。
ブズーキというのはギリシャの弦楽器で形はマンドリンとギターに似ている。図書館で借りてきたこのCDはギリシャのヒット曲集。軽快なリズムは中学、高校時代のフォークダンスを思い起こさせるし、メロディーはロシア民謡のよう。懐かしいような、せつないような。
歌詞が分かればさらに楽しめるのだろうが、分からなくても楽しめるのはブズーキの音色のせいなのかな?
雨が降っているのに暖かく、秋というよりは梅雨のような一日だった。天気図を見たら台風が来ていて、どうやらその影響らしい。季節はずれの台風。これも地震と関係があるのかな?
色づき始めた高麗山の木々も小雨に濡れてけむっている。午後は亡くなったSさんの家に花を供えに行ってきた。
動物は犬も猫も好きなので、性質や性格、犬となり、猫となりを見る眼は少しはあるつもりだ。野生動物に関しては基本的には「友好的無関心」という接し方が一番いいと思っている。でも犬と猫については相手にもよるが多少関わってしまうことがある。
ヤマトくんは柴犬にしては大柄だがなかなかできた犬。ほんの少し挨拶を交わしたくらいだが控えめで節度があった。散歩の友として最高だろう。
できれば犬も猫も飼いたいところだがまだ気分的に余裕がない。とうぶんはこんな行きずりの縁を楽しむくらいがいいのかな。