たわわに実った柿。小粒のせいか誰にも取られてないようだ。鳥たちも食べ飽きたのかな。
気まぐれな台風のおかげで一日中雨。夜半からは風も強まってきた。無事に通り過ぎてくれるといいが。
夕暮れの空にずいぶん大きな飛行機が飛んでると思って良く見たら、雲に隠れた満月だった。また台風が近づいてきている。明日は雨か。
丹沢の麓、秦野では蕎麦の花が満開だった。蕎麦は痩せた土地がいいと言われる。たしかに肥料などはやらないほうがいいらしい。ただしそのぶん種まき前の土作りが大変だとのこと。これは地元のプロに聞いた話。
この畑の蕎麦も順調に育っている。花の付きもいい。手間をかけたプロの仕事。収穫まではあとひと月ほどか。
今日も暑いと思ったら温度計は33度をさしていた。いつまで続くこの暑さ。とはいえ季節はきちんと動いているようで、萩が咲き、トンボも舞っている。
枯れた桜の葉が風に吹かれてひとところにかたまっている。秋桜と書けばコスモスだけれど、これは文字通り「秋の桜」。落ち葉となっても楽しませてくれる。
まだまだ暑い日が続く。今日も30度を越えた。晴れているのに大気は不安定で、午後には雨も降ってきた。
雨上がりの空はダイナミック。海の上に突き出ているのは真鶴半島。その向こうにかすんで見えるのが伊豆半島。
空の透明度が増し、ようやく秋らしくなってきた。思えば長い夏だった。日本はもはや温帯ではなく、亜熱帯といっていいと思う。仕事を含めた生活スタイルをまるごと変えたほうがいいのではないかな。
中央高速から見る八ヶ岳。いつ見ても美しい。なだらかな裾野を持つ安定した造形美。背振りの山も阿蘇の山容も今ではもうはっきりとは思い出せないけれど、この山にはそれらと似たものを感じている。この山もアリガタキカナ。人には水を、心には山を。
月曜日に搬出を終えてようやくひと段落。暑くてあわただしい夏だった。
東京は相変わらず音の洪水。数日通っただけなのに今でも耳鳴りのように聞こえてくる。冷静に対処しているつもりでもいつのまにか全身を飲み込まれている。「洪水は我が魂におよび」なんて小説もあったな。
はじめて歩いた原宿裏通り。ヒューマンスケールのお店が並ぶ一角にアトリエ「マジックシアター」はあった。3人で営む小さな金属工房。作られているアクセサリーにはたっぷりと手作り感があってなごむ。東京にもまだこんな空間が残っていた。
台風とそれに伴う集中豪雨。自然がこれまでの予想を越えた激しさでせまってくる。大地震の予感も消えない。人間界では子殺し、親殺し。増幅されていくばかりの憎しみ。いよいよ末法の時代か。この流れを変えることはできるのだろうか。
土曜日の銀座。雷を伴った豪雨。これまで体験したことないほどの降りかただった。雨というよりは水をかぶっている感じ。身動きもとれなかった。
詐欺師、ペテン師、酔っ払い。戦後の焼け跡、闇市の時代を生き抜いた少年は終生「怪物」を追い求めていた。東京オリンピックから大阪万博へと続く経済成長と近代化の流れも、それとはまったく正反対の裏返しの地点から眺めていたに違いない。
近代だの合理主義だの。民主主義だの正義だの。あるいは健康とか明るさとか。夢とか希望とか未来とか。そんな言葉の持つ危うさ、胡散臭さをなによりも感じておられたのだと思う(これらの言葉って、今にして思えば「アメリカ教」の布教言語だったといえなくもない)。
この本は20代の頃、引越しの手伝いに行った時にいただいたもの。ただ田舎から出てきた「近代」青年(ワタシのこと)にとっては難解だった。今なら少しは、、、。
怪物を追っていた少年はついに自らが怪物となり、これから何度でも甦り続けることだろう。怪物は不死身なのだ。
種村季弘さん。71歳。合掌。