雪の日から一転して今日は乾いた晴天。しかし気温は低く、日陰の氷は午後になっても融けていない。外を歩くと北風が耳たぶの周りでビュービューとうなりをあげる。
歩いて20分ほどのところにある松岩寺というお寺の裏山。たわわに実をつけた金柑の木が一本。もう完熟しているのに誰も収穫した気配がない。最近では金柑はあまり人気がないのかな。おいしそうなのに、モッタイナイ。
月曜日に出かけた富士山麓。日差しが強く汗ばむほどの陽気だったのに、須走に近づくとあたりは雪景色。わき道へ入ると除雪もされていない。家を出るときはまさか雪道を走ることになるとは思いもしなかったがスタッドレスのありがたさ。真っ白い坂道でさえスイスイ登ることが出来た。
森の中は積雪が1メートルくらい。大小さまざまな動物の足跡があった。やしゃぶしの実は染色の原料になると聞いた覚えがある。どんな色に染まるのかは忘れてしまったが。
今夜は満月、しかし雨のため月は見えず。明け方には雪になるかも。
朝から南からの強風。土埃や黄砂それに花粉なども一緒に家の中まで吹き込んでいるに違いない。板張りの床がなんとなくざらついている。
外に出たら梅の香りが漂ってきた。今年は花の付きが少ないがそれでも暖かさに誘われていっせいに開花したようだ。
夜半、雨音がしなくなったと思ったら雪に変わっていた。この冬は雪が多い。これで何回目だろう。ただ気温はさほど低くないので土が凍ることはなさそうだ。明け方にはシャーベット状になっていた。
♪ 夜明け間際の吉野屋では 化粧のはげかけたシティ・ガールと
ベイビィ・フェイスの狼たち 肘をついて眠る ♪
♪ 向かいの席のおやじ見苦しいね ひとりぼっちで見苦しいね
ビールをくださいビールをください 胸がやける ♪
♪ あんたも朝から忙しいんだろう 頑張って稼ぎなよ
昼間・俺たち会ったら お互いに「いらっしゃいませ」なんてな
狼になりたい 狼になりたい ただ一度 ♪
中島みゆき「狼になりたい」 途中略
中島みゆきを初めて意識したのはこの歌を聴いてからだったと思う。20代の女性がこんな詞を書いていることに驚いた。1979年ころ、まだコンビニもなかったはず(たぶん)。このころから吉野屋は24時間営業だったのかな。狂牛病だなんてSFですら想像出来なかった時代。
♪ 俺のナナハンで行けるのは 町でも海でもどこでも
ねえ あんた 乗せてやろうか
どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも ♪
当時オートバイに熱中していて、ちょうどナナハンに乗っていたこともあり、そのこともあってこの歌は記憶に残っている。CDでもあればもう一度聴いてみたい。
オートバイといえばチェ・ゲバラの青春時代を描いた映画があるらしい。「モーターサイクル・ダイアリーズ」。製作はロバート・レッドフォード。医学生だったゲバラが故郷アルゼンチンからチリ、ペルー、コロンビアへとオートバイに乗って旅をするロードムービーとか。これは久しぶりに見てみたい映画。
ゲバラで思い出すのは高校時代の体育祭でゲバラの大壁画を描いた人。池田クン。あのころは幕末の坂本竜馬、高杉晋作と同じようにゲバラは現代のヒーローだった。その池田君もすでに故人だ。
昨日の早朝、久々に大きな揺れ。前日の稲妻雲はやはり地震の前兆だったのかもしれない。
冷たい雨の日の土仕事は寒いばかりで調子も出ないので出かけることにした。銀座の森田画廊まで作品の引き取り。車で行くとアルコールが飲めないのがつらい。
2月の中旬というのはまだまだ冬の真っ只中のはずだが今年はあまり寒さを感じない。それどころか昼間の日差しにはすでに春の気配すら漂いはじめている。寒いのは苦手だが(暑いのも)、このまま冬が終わってしまうのもなんだかもの足りないような気がする(ゼイタクか?)。
午後5時頃の北西の空。こんな雲も珍しい。太い稲妻のようだ。
台所のすみで忘れられたように埃をかぶっていたミキサー。ふと思いついて使ってみたらこれがなかなかいい。写真はリンゴ・バナナ・シェイク。リンゴ半分を細かく切り、バナナは適当にちぎって入れる。そこへ牛乳をひたひたに入れて回す。これから毎朝の定番となりそうな味。
他には自家製の甘酒?もミキサーにかけると米の粒が消えてクリーミーな白酒となる。口当たりだけでなく味もまろやかになるようだ。整理のため捨てるつもりで引っ張り出したミキサーだが捨てないでよかった。
気温が低く外は雨。家の中も寒い。結局今日は一歩も外へ出ず、薪ストーブを焚きながら一日中粘土練りで過ごした。それにしても明日のサッカーが気になる。ワクワク。ハラハラ。ドキドキ。大丈夫かなぁ。ファイアー!
散歩を兼ねてよく買い物に行く通りにこんな店ができていた。一昔前、テレビのワイドショーを賑わせた○○さんの店かな。この人もしぶとい。はじめて携帯のカメラを使ってみた。
冬タイヤに関しては今と昔で隔世の感がある。以前はノーマルタイヤにチェーンを巻くのが一般的だった。しかしこれが大変で雪道にさしかかるたびに付けたりはずしたり。しかも慣れないと脱着だけで30分以上かかり、手も足もびしょ濡れ。とにかくタイヤチェーンについては苦い思い出しか残っていない。
粉塵問題からスパイクタイヤが使用禁止となったのは今から十五年程前だったか。その後普及したスタッドレスタイヤによって雪道の走り方は一変した。目的地まで一度も車を降りずにたどり着ける。これには感動した。
写真は先月末に出かけた八ヶ岳。今年は暖冬予想だったのに雪が多い。幹線道路をはずれると雪が固まっているところも多かったがスタッドレスと4WDのおかげで一度もスリップすることはなかった。