「自動パン焼き機」をもらったので初めて使ってみた。強力粉にバター、イースト、塩、砂糖少々、そして水。これだけの材料を入れてスイッチを押すだけ。4時間後にはこんな立派なパンが焼けてしまった。簡単、便利。味ももちろん2重マル。この機械はエライ。
真冬並みの寒気が降りてきて冷たい風が吹くなか、コブシが咲き始めた。月明かりに澄んだ夜にホワッと白いかたまりが浮き上がって見えた。写真を拡大したら花に隠れて小さく満月も写っている(写真右下)。
家から丹沢の麓までは車で30分ほど。身近な山なので気分転換を兼ねて出かけることも多いのだが、この麓では最近野生動物と人間のせめぎあいが深刻だ。イノシシ、猿、鹿、狸などが畑を荒らし、ときには家の中まで入り込むこともあるらしい。写真は山あいの畑のそばで仕掛けにかかった狸。狸をまともに見たのは初めてだが意外に痩せている。冬の間は食べ物が少なかったのだろう。カメラを向けたら牙をむいて威嚇してきた。
10年前の阪神、淡路の震災以降、地震活動が活発化しているのは確かなようだ。新潟、中越地震のあと、スマトラそして今度は北九州。震源が市街地から離れていたこともあり、犠牲者が少なかったことは不幸中の幸い。ビルのガラスが割れて降りそそぐなかでもけが人がほとんど出なかったのは奇跡だ。
大都市で地震に遭うのは恐怖だが田舎ではまた別の恐さもある。原発、ダム、石油やガスタンクなどに被害が出ればそれこそ悪夢。新潟には柏崎に7基、佐賀には玄海町に4基の原発があり稼動中だった。
写真は愛川町の中津川。野鳥が飛びかいのどかに流れる春の川だがこの上流は宮ケ瀬ダム。
暖かくなったせいか散歩をしているとよく猫に出会う。しかし立ち止まってカメラを向けるとたいていはすぐ逃げられてしまう。デジカメは起動が遅くシャッターの反応も鈍いので動きのあるものは不得手(ウデの問題か?)。
期限ぎりぎりになってようやく確定申告終了。一年の生活を数字にして振り返ることの恐ろしさ。嫌なことはつい先延ばしにしてしまうというだらしない性格のため、毎年この時期はあわただしい。しかし憂鬱な作業も今日でおしまい。頭のつかえもなくなりこれからいよいよ春だ。
車の上に降り積もっているのはただの埃ではないようだ。近づいて見ると色が黄色っぽい。これが噂のスギ花粉か。
1970年の大阪万博のシンボルは岡本太郎作「太陽の塔」。今から思えば「陽のあたる坂道」をバブルに向かってまっしぐらに進んでいた時代。満月工房という名前を思いついたのはそのあとだった。動脈から静脈へ。「モーレツからビューティフルへ」。これからは月の時代だと思ったのだ。
あれから35年。今年の愛知万博にはなんと「月の塔」ができるらしい。なんとなくパロディっぽいが、これで少しはバランスがとれるのかも。35年の月日は長かったのか、短かったのか。その間に失ったものはあまりにも大きい
写真は大皿の足。円錐形で見た目はいいが使いにくそう。ボツだな。
近くの小学校の子供たちが作った作品を焼いてあげることになり、現在素焼き中。
それにしても一つひとつにこめられた想いとエネルギーの活きの良さ。こういう開放感はしばらく忘れていた。見ているだけでこちらまで元気になりそう。日本の子供たちも学校もまだまだ大丈夫みたい。
薄茶色に乾いた山芋の枯葉をモノクロにしてみた。アナログフィルムにくらべると黒から白までのレンジが狭いような気はするが、対象を選べば柔らかくて雰囲気のいい写真になる。デジカメではこんなことも出来るのだ。
陽光を浴びて畑の土手道に咲く小さな花。径は1センチにも満たない。花弁には白いすじが入っていて形も美形。よく見るとそのそばにはさらに小さな白い花も。
どちらも名前は知らないがあちこちいたるところに雑草のように咲いている。歩く道の上にも咲いているので踏みつけないように気をつけて歩くのだが、それでもつい踏んでしまうことがある。ゴメン。
雪にこそならなかったが厚い雲に覆われ、寒い一日。しかしこの寒さも今日までか。明日からは暖かくなりそう。
近くの民家のコブシ。早ければ来週にも咲きはじめるかもしれない。
大雪の予報はハズレ。一面の雪景色を期待していたのに朝から肩すかし。しかし北風は強く寒い。予報によればこの天気はまだ数日続くとのこと。
釉薬の原料が足りなくなって慌てて厚木の材料店まで出かけた。金曜日の夕方、ただでさえ渋滞の激しい道路がガラガラに空いている。こんなことは初めて。これも雪(の予報)の影響だろうか。
帰りにはネットで調べた厚木市内のM酒店に寄ってみた。しかし目当ての「田酒」も「大七」も在庫ナシ(ほんとかなあ?)。ま、しかたがない。
今日から3月。気温は低いが日差しには力強さが出てきた。
本焼のときに使うトチ。この上に皿などをのせて焼く。普段はこんな丁寧な焼き方はしないが、久しぶりに大皿を焼くので50個ほど作った。