車の修理工場でマフラーの修理。簡単に終わりそうだったのでそのまま見学させてもらった。自動車をこんな角度から見る機会はめったにない。プロの仕事は手際がよく、ほんの15分ほどで終了。
新聞を取らなくなって10年以上経つ。きっかけがなんだったのかよく覚えていないがいろいろと不満があったことは確か。まず新聞用語だらけの日本語がつまらないこと、それから記事に署名がないこと。誰が書いたものか分からない文章など読む価値があるだろうか。
「天声人語」、あらためて見るとすごいタイトル。「天の声を人が語る」もしくは「人(庶民)の言葉こそ天の声」。どちらにしてもこのコラムの筆者は自分を偽っている。彼は天の代弁者ではないし、かといって庶民でもない。こうした傲慢さも新聞が嫌いな理由の一つ。
もしかしたらこれは一種の宗教といえるかもしれない。お布施(購読料)を払った家には毎朝「天の声」が届くわけだ。
新聞を読まなくなって何か不都合なことがあったかといえば、まったくない(と自分では思っている)。新聞は今や焼き物の梱包材くらいにしか思えなくなっている。
焼き物は「工芸」として括られることが多い。そして用途や機能。重さ、軽さ、大きさ、バランス。さらには水漏れ、汚れ、カビなどに対してさまざまな要求が押し寄せてくる。だがそれらに真面目に対処しようとすればするほど自分自身はますます不自由になっていく。「機能」という怪物にいつのまにかがんじがらめにされている自分に気がつく。焼きものは単に自分の息遣いの痕跡であっていいのではないか。
久しぶりに大掃除。テーブルの上がスッキリすると生活のすみずみまで見渡せるような気がしてくるから不思議だ。あらためて掃除は人間的な暮らしの基本であることを知る。
三枚におろしたあとの鯵の骨を唐揚げにしてみた。わりと短時間でキツネ色に揚がり、背骨から尾ひれまでサクサク食べられる。今日も雨で肌寒く、ビールの季節でないのがちょっと残念。
すでにお気づきの方も多いと思いますが今月からブログのトラックバック機能を全面的に停止しています。危険なサイトに誘導するスパムなトラックバックが増えたための非常措置です(ひどいときには一日に100個近くもきました)。コメント欄についても古い記事ではcloseにしています(見ることはできます)。
記事数が600を越えてソフトの動きも鈍くなり管理も難しくなってきました。そろそろ全面的な改変が必要かもしれません。
体長20センチほどの石鯛を塩焼きにしてみた。ウーン、すばらしい。味は鯛というよりもむしろ鮎や岩魚などの川魚に近い。しかも身が引き締まっていて野性的。相模湾にもこんな魚がいたのだ。これなら海釣りを始める価値有り。誰か教えてくれないかな。ちなみにこの皿は快山窯の青白磁。久しぶりに登場。
今日もまた雨。これはもう完全に梅雨だ。季節の移り変わりが狂いはじめている。「さわやかな五月晴れ」などという表現は今後死語になるかもしれない。
雨のおかげで土はふかふかに柔らかい。里芋の新芽も葉を二つに広げてきた。しかし日照時間が少ないのでこの先どうかな?
昨夜は台所の床下、今夜はパソコンの横。なんと2日続けてムカデが出現したのだ。この世で最も嫌いな生き物(コイズミと同じくらい嫌い)。卒倒する思いで格闘し2匹とも撃退したもののショックは大きい。その後は何も手に付かず、酒もおちおち飲んでいられない。こんなことでは田舎暮らしは無理かな。
借りている駐車場の中に隣から侵入してきた細竹(黒竹?)。晴れているのに新芽の先には水滴ができている。
ちょうど2週間ぶりの青空。長い時期はずれの梅雨だった。
共謀罪新設はとりあえず持ち越し。狭い日本をこれ以上窮屈にしてはいけません。
出入国管理法改正案が国会で可決されたとのこと。今後日本を訪れる外国人は指紋と顔写真を撮られることになる。外国旅行でこんな目にあったら楽しさ半減だろうな。コイズミ与党のやることには歯止めが利かない。桜若葉の木陰は気持ちいいけれど、この国がますます嫌味で嫌われる国になってしまいそうで残念。
こちらは枇杷。日当たりもよくないところに勝手に生えてきていつのまにか屋根よりも高く成長している。枇杷には葉や種に薬効成分が豊富に含まれているとか。今年はこの枇杷で枇杷茶や枇杷酒などやってみるかな。
車の排気音がやけにうるさいなあ、と思っていたらマフラーが錆びて穴が開いていた。やれやれ。そろそろスカッと晴れて欲しいものだ。
今日も雨。季節が一ヶ月以上早回りしているようだ。ただ気温は本物の梅雨時より低いのでまだラク。
いつもは花にばかり目がいってしまうが上を見上げればいつのまにか梅がこんなに大きくなっている。実のつき方からすると今年は豊作のようだ。
先週から梅雨のような日が続く。今日も雨は降らなかったがすっきりとは晴れてくれない。気温が上がりはじめた昼前に羽蟻発生。シロアリではなさそうだがちょっと心配。
丹沢にある友人のアトリエに設置した灯油窯がようやく使えるようになった。小窯だがちょっとしたものを焼くのにはちょうどいい。短時間で焼けてしかも経済的。そして何よりうれしいのは炎が見えること。火で焼くからこそ焼き物。電気窯では味わえない面白さがある。久しぶりに焼き物をはじめたころのワクワクした気分がよみがえってきた。
写真は小田原の街中で見かけた小さな花。大きさは1センチほど。名前はわからない。
昨日沖縄へ行ってきた人の話を聞いたばかりだったので八百屋でゴーヤを見たときすぐに手がのびてしまった。今年初めてのゴーヤ。しかし今日はあいにくの天気。大雨でしかも寒い。仕事場ではストーブを焚いたほど。せっかくの初物ながらあまり似つかわしくないゴーヤの季節となった。
フィリップ・グラスの「Liquid days」が急に聴きたくなって探したがどうしても見つからない。どこへいったのやら。誰かに貸したかな?探し物は見つからなかったがその途中で懐かしいものがいろいろ出てきた。テリー・ライリーの「シュリ キャメル」もその一枚。発表は1980年。日本ではYMOが活躍していたころか。録音データを見ると使っている楽器はヤマハのYC-45-Dという電子オルガン。細かく繰り返されるキーボードの旋律がリズミカルに幾重にも重なりあいゆらめいていく。まるで万華鏡の中に吸い込まれるような酩酊感。マンダラ的なジャケットも面白い。アマゾンでちょっとだけ試聴できます。こちら。「Liquid days」も。
三島でもらってきた黒蝋梅の枝を水に挿しておいたら新芽が伸びてきた。土に植えたいところだがいつ頃がいいのかタイミングが分からない。場所は明るい日陰がよさそうな気がするのだが。
道志村の道の駅で「ゆべし」を見つけたので試しに一つ買ってきた。薄く切って口に入れると味噌、柚子、それに胡麻の香りが見事にとけあってなかなかよろしい。と、ところがそのあと舌の上に残る気持ち悪いヌルッとした後味。化学調味料だ。原材料を見ると柚子、柚子の絞り汁、赤だし味噌、白胡麻とある。この中で怪しいのは赤だし味噌。最近はあらゆるものに合成調味料が入っていて油断できない。漬物に味の素を振りかけて出してくる食堂もいまだにある。まあ、コマーシャルをそのまま素直に信じる善良な人々がまだまだ多いということか。
「ゆべし」ができるまでは一年近くかかるはず。それだけ手間ひまをかけていながらほんの少しケチって安い材料を使ったがためにこんな結果になってしまっている。味噌は是非自家製味噌を使って欲しかった。残念。
日本的な横に取っ手のついた急須が苦手でずっと敬遠してきた。どんなに良くできた急須でも取っ手が邪魔。当然作ったこともないし買ったこともない。あんな不恰好なものがどうして日本の茶器のスタンダードになってしまったのかいまだに理解できないのだ。というわけで最近買ったガラスの茶壷。もともとは中国茶用に作られたものだが取り外しできるコイル状の茶漉しもついているので緑茶に使っても全く問題ない。二人分くらいまでならこれで十分。それより大人数となれば土瓶形の急須がいいと思う。
白磁に織部の器は酒杯またはぐいのみとして作ったものだがお茶にもかなりいい。少量の濃い緑茶をクイッと飲むのには最適。湯飲みではなく茶杯と呼ぶべきか。近日中にshopに登場します。
三島の源兵衛川で見たアメンボウを道志村でも発見した。大きさはこちらの方がだいぶ大きい。動きが速く、しかも予測できない動き方をするのでかなりシャッターを切ってもうまくは撮れなかった。オートフォーカスではピントも合わないし。
アメンボウが水面に浮いていられるのは水の表面張力のおかげ。水の中に極微量でも界面活性剤が含まれていればアメンボウは浮いていられない。昔読んだ本によればプールの水にわずか一滴の中性洗剤を落としただけでアメンボウは生息できなくなるという。アメンボウの存在は水の状態を知るひとつの指標でもある。
バラのサイトで検索したらこれは「シェリー メイディランド」のようだ。1994年に発表された新しい品種。赤と白の配色が強烈だが一重の花びらが気に入った。バラといえど花は一重にかぎる。
T氏の車で丹沢、箱根ぐるり一周ドライブ。朝9時に出発し丹沢の北、山梨県道志村で開かれる小俣夫妻の野外コンサートへ。細い渓流沿いの雑木林の中、期待どうりのロケーション。笛の音と小鳥の鳴き声が谷間に澄みわたり美しい。自然の中で飲むビールもうまい。
道志村から山中湖へ抜け御殿場を通って再び三島へ。寒川町の陶芸家福岡琢也君の個展オープニング。落ち着いた色合いの粉引きと青磁。自分の個展ではないので緊張感はなく酒も料理もゆっくり味わえてうまい。
全走行距離200キロほど。何ヶ月ぶりかの休日らしい休日だった。
写真は菖蒲だと思う。黄色い花が咲いていたので黄菖蒲か。
市内中心部を流れる源兵衛川には川の中に(横ではなく)遊歩道が作られていて数キロほどの川歩きができる。久しぶりにアメンボウを見た。
三島の個展は今日まで。個展前のパニック寸前の日々から搬入を終えてからの開放感。そして会期を終えてからは軽い脱力感。毎回新しい発見があり新しい出会いがある。写真は湧水沿いに自生していたカラー。
青いシャガというのは珍しいと思って写真を撮っておいたのだが検索したらこれは普通のシャガではなくヒメシャガということが分かった。絶滅危惧植物らしい。採取禁止。というわけで撮影場所は三島市内とだけ書いておこう。
2年前に訪れたときはたっぷりと水が流れていた川が今では川底が干上がるまで水量が減っている。原因は富士山麓の工場群が地下水を大量に汲み上げているため。生活をとるか産業をとるか。湧き水がなくなればこの町自体が干乾びてしまうような気がするのだが。ここ数年が正念場かもしれない。
一般的に川というのは上流から流れてきて下流へと流れていくものだが三島では少々イメージが違う。つまり湧き水が源流となり川はそこから流れ出ているわけ。したがって川の水は常に澄んでいて洪水の心配もない。数十年前まではこの水はさらに家々の路地裏までくまなく導かれ生活に利用されていたという。こんな恵まれた町が他にあるだろうか。