湿気のせいかもしれないがパソコンがおかしくなった。電源は入ってもWINDOWSが起動しない。初めてのことなのであせった。参考書を片手にセーフモードでようやく起動させOSを再インストール。ダメかと思ったけどデータは壊れてないようでたすかった。デジタル機器の危うさを痛感。
仕事場の隣りに建っていた古い小屋が取り壊されて更地になった。特別の感慨などはないが今まで目にしていたものが消えてしまったことについては多少のとまどいもある。形ある物は常ならず。それはわかる。ただ常ならぬものに価値がないかといえばそんなことは決してなくて、常ならぬものの中にこそ記憶も愛着もいっぱい詰まっているのだな。
常ならぬものへの讃歌と常なるものへの渇仰。芸術表現にはこの二つのベクトルがある。どちらか片方ではなくできれば両方のベクトルを内包した表現、それが理想だ。
色即是空 空即是色
パソコンや車の中で聴いていた時は音が硬いなと思っていたが家のオーディオでかけたら全然違った。歌もギターも柔らかくしかもクリアー。録音、マスタリング共に非常にうまくいったようだ。
CDの最後にはボーナストラックが1曲入っていてこれはギターとマンドリンのデュオ。まるでゴンチチかと思わせる完成度(それ以上か?)でこれはギターファンならずとも必携でしょう。とにかく曲、歌、ギター、録音そしてジャケットに至るまでよくぞここまでまとめあげたものだ。大ヒットの予感あり。タイコバンです。
日曜日は友人の車に同乗させてもらって久しぶりに(三年ぶりか?)吉祥寺へ。マンダラ2での豊田勇造ライブ。共演はもちろん続木徹(ピアノ)。
雨の日にもかかわらず客席は満員でしかも同年代の人が過半数。今回は新作CDの発表を兼ねているので収録曲を中心にしたプログラムだった。いつもの体育会系のパフォーマンスは影を潜め始めから終わりまで静かなバラード。歌、ギターそしてピアノ、それぞれの音の細部のディテールまでしっかり聴き取ることが出来た。内に秘めたものが大きい分、伝わってくるものも大きい。レコーディングの緊張感をうまく自分のものにしているのかもしれないし、あるいは彼自身の表現の質が変わってきているのかも。これは面白いことになってきた。
新作CD「夢で会えたら」http://www.toyodayuzo.com/はギター2本に歌というシンプルな構成。この世の人もあの世の人も陽だまりの中で軽やかによみがえる、そんな歌のかずかず。これも新境地といっていい。豊田”ポップ”勇造の誕生か。とにかくマニアだけでなく万人にお薦めできる作品です。
びっしりとかたまって咲くアジサイ(セイヨウアジサイ)は見るからに窮屈そうで蒸し暑い日本の夏には似合わないなといつも思う。その点、ガクアジサイはぱっと花火が飛び散ったような姿が涼しげでいい。ひらひらと飛ぶ蝶のようにも見える。
写真はガクアジサイのようだが花全体の形はカシワバアジサイに似ている。検索してもよく分からなかった。新品種かも。
昨日とはうって変わって梅雨らしい雨の一日。ブラックベリーの大きな葉の間に張られた蜘蛛の巣に雨粒がびっしりついている。これでは蜘蛛も商売あがったり。居場所さえなさそうだ。
諏訪の糀店で買ってきた米糀を使って米のエキスを取り出すことをやってみた。4日ほどでこのとおり。まろやかな中に炭酸のピリッとした刺激。初めての試みながらなかなかいい出来。米の力水(ちからみず)と呼ぶことにしよう。
朝から抜けるような青空。気温も高く空気も乾いている。おかげで乾燥中の磁器物にまたヒビが入ってしまった。今回は内側の側面。昨年来の頼まれものでこれでもう6作目か。乾燥段階ですべてヒビ割れ。今日は人の出入りがあり、つい油断してしまった。こういう日は布で覆った上からさらにビニールで包んでおいた方がよかった。
20日以上かけて紐作りで仕上げてきたものがこれでボツ。まあこれが焼き物、と達観してみたいところだが実は全身の力が抜けていくのが分かる。
磁器土は白くてきめが細かいので一見やさしそうに思える。しかし実際には気難しく神経質でしかも頑固だ。
梅雨入りのはずなのに今日は晴れ。予報では来週も晴れの天気が続くらしい。梅雨に入ったかどうかという季節の区分はどうでもいいが、この時期にはしっかりと降ってもらわないと困る。日本の水は元はすべて雨水なのだから。
政治的なナショナリズムの前に世界中でエネルギー、資源、そして食料のナショナリズムが露骨に吹き荒れそうな気がする。食料自給率を急速に高めることはできないが少なくとも米だけは守ってもらいたい。
この校舎は新しいのか古いのかよく分からない。3階建ての校舎はコンクリート作りのようだが正面のファサードは明治期の洋風建築のようでもある。もしかしたらここだけハリボテなのかもしれないが、それでもこの小学校のたたずまいはいい。教職員の人柄、教室の雰囲気などは部外者には知るべくもない。しかし見えないものはすべて顔にあらわれる。こんなところならもう一度小学生に戻ってもいいかなと思った。
人が建築を作り、建築が人を育てる。門柱には茅野市立湖東小学校とあった。
デジカメについて考えていたら、これって人間の目と脳のしくみによく似ていることに気がついた。光を感じるセンサー(CCD)は人間の目でいえば網膜。ここで受けた光は電気信号に変えられ、脳で画像として再構成される。我々がものを「見る」というのはこういうプロセスのことを言う(はずだ)。デジカメで脳に相当する部分はコンピューター(メーカーによって画像エンジンなどと呼ばれる)。
そういうわけでデジカメで撮る写真は人間の脳内映像に近いと言えるかもしれない。一方、従来のフィルムカメラで撮る写真はフィルムという物質上に残された光の痕跡。したがって物質的な存在感がある。優劣ではなく、どちらも面白い。
ノハカタカラクサ(ツユクサ科ムラサキツユクサ属)。名前からすると日本原産かと思うが実は南アメリカ原産とのこと。ドクダミと並んで日陰にひっそりと咲いている。
平塚市内の宝善院。歩道に面した塀の中に鬼瓦が埋め込まれている。いい色に焼けてるなあ、と思ってよくよく見たら口の中になんと仏様。なかなか面白いことをやってくれる。
6/11追記
この鬼ってもしかしたら地獄の閻魔大王のつもりなのかな?とするとこれは「地獄で仏」ってことか。そういえばこの塀の向うは墓地になっている。