小学生のころクラスで落穂拾いに行ったことがある。稲刈りの後には稲穂が結構落ちていて学校全体では何俵にもなったはず。あのころはとにかく世の中全体が「もったいない」精神に満ちていて、食べ物はもちろんモノでも時間でももったいない、もったいないだった。
最近各地の老舗で多発している賞味期限偽装の底流にはこのもったいない精神があるのではなかろうか。食べ物を無駄にしたくないという気持ち。まだ食べられるものをゴミ箱に捨てることの後ろめたさ。当事者たちにとっては賞味期限を改ざんするのにさほど罪悪感はなかったのではなかろうか。
ただ、時代は変わったんだな。食糧難の時代から飽食の時代へ。物不足から物余りへ。いまどき中途半端にもったいない精神を持っていると体はメタボリック、家の中は不用品であふれてしまう。
賞味期限というのは曖昧な言葉ではあるけれど、今は健康、安全がなによりも重要視される時代。老舗の旦那衆にはその流れが読めてなかった。これから店を再建していくのは大変だろうけど先ずお菓子を作り過ぎないことかな。売り切れたら素直に売り切れ御免の張り紙を出す節度。もし売れ残りが出たら見栄を捨てて半額セールでもやる柔軟さなどもあったほうがいいのでは。資源を無駄にしないというのはこういうことではなかろうか。
訂正 賞味期限ではなくて消費期限でした。(11/1)
まだ緑が多い里山の上に突然現れた白光。ここはネパールかはたまたチベットか。見慣れた田舎道を走りながら一瞬ここはどこかと思ってしまった。先日の台風が大気を掃除してくれたのだろう。そして富士山には深々と新雪を降らせてくれたようだ。
それにしてもこの風景は現実離れしている。まるでチベットのカイラス山を見ているようだ(行ったことはないけど)。
秦野市内の公民館に展示されていた古い写真の数々。上の写真はおそらく昭和の始めころに撮られたものだろう。場所はお寺の境内。なにかのお祝いの集まりだろうか。写っている人たちはもしご健在ならば80歳から90歳になっているはず。逆に言えばこの時代からまだ百年も経っていないということでもある。昭和って激動、激変の時代だったんだな。
数百年の時を経て鐘楼を乗せている雲も白く乾いている。氷点下の冬をいくたび越えてきたことか。ここは忍野村の承天禅寺。
寺の前には豆腐屋があった。店の横に蛇口がありその上に大きな字で「水」と書いてある。店の人にたずねるとここの井戸水とのこと。忍野の天然水だ。こういうときのためにと積んでおいたポリ容器に溢れるまで汲ませてもらった。肝心の豆腐の味も期待通り。こんな豆腐屋が近くにあればそれだけで生きていけそうな気がしてくる。
一般にムラサキシキブと呼ばれているものは正確には園芸種のコムラサキであることが多いらしい。写真は忍野村の山中で撮ったものだがなんとこれもコムラサキ。
湖畔に出て写真を撮ったあと車に戻ったらフロントガラスの内側に小さな虫が止まっていた。いつの間に入ってきたんだろう。体長は2センチくらい。透けた2枚羽が面白い。はじめて見る虫だけど、、、どちらさんですか?
午前中から富士山周辺の山中湖、忍野村へと出かけてきた。富士山は北斜面が薄く白化粧。その中に登山道のジグザグの道がくっきりと見えた(写真では見にくいかな?)。
最近は天気予報がかなり正確になってきて大きく外れることはなくなった。今日は夕方から雨。これも予報どおり。雨は夜半には止んだので明日は晴れた秋空か。
2日続けて山に置いてある灯油窯を焚いてきた。小型なので少量のものを焼くときやちょっとしたテストをするのにけっこう重宝している。やり方によってはこれだけでもなんとかやっていけるかもしれない。電気窯と違って火が見えるのがいいし、燃料費も安くて済む。
八月には大輪の花を咲かせた蓮池も今や枯れ色が目立つ。黒くなった蓮の実があちこちに伸びているが遠くて手が届かない。
空はどんよりした曇り空だが窓を開ければ金木犀の甘い香り。香福?の季節。
車がバッテリー上がりを起こしてしまった。今朝、秦野へ向かう途中コンビニに立ち寄ったらそこでエンジンがかからなくなったのだ。こんなことは何年ぶり、いや何十年ぶりのことだろう。日頃のメンテナンスをサボっていた、反省。車はガソリンだけでは走らない。電気も必要。ということは車って昔からハイブリッドだったってことか?
一昨日から久しぶりにロクロを挽いていたら今朝になって腰が重い。前屈みの姿勢を長時間続けていれば無理もない。ストレッチや散歩、水泳などを適度におりこんでいかねば。
写真の表示サイズを今日からひとまわり大きくすることにした。ブロードバンドがかなり普及してきたのでこのくらいでもストレスなく見てもらえるのではないかと思う。それになんと言っても大きい写真は気持ちがいいし。サイズが小さいと撮るものが限られてくるのだ。ファイルサイズのほうは色調によってかなり左右されるができるだけ15キロバイト以内にするつもり。ちなみに今日の写真は5.5キロバイト。これなら合格。
9月末まで暑かったので今年の秋は短かそうだ。うかうかしていると旬の食べ物も味わえないまま冬になってしまいそう。この栗は近所のNさんからいただいたもの。茹でたのを二つに割り、スプーンで食べる。単純だけどやっぱりこれが一番。ごちそうさまでした。
空や雲の動きは気をつけて見るようにしているがこれほどダイナミックな夕空は記憶にない。3連休の最後でしかも雨上がりなので空気が澄んでいたのかもしれない。しかしそれにしてもこの雲の色は何だろう。まるで誰かが描いた「天地創造」みたいだ。ちなみにこの写真はデジカメで撮ったままで色調の補正などはしていない。できれば吉兆と思いたいが最近は神奈川西部で地震が相次いでいることもあり少々不安でもある。
俳句をラップのリズムに乗せて歌う俳人というのが出てきたら面白いかも。ハイクラッパーとかね。
チャカチャッチャ チャッチャカチャカチャ チャカチャッチャ
俳句作りはしばらく調子良かったのに一度休んだら全然作れなくなってしまった。やはり何事も日常的な習慣にならないと長続きしない。たとえば朝起きた時から頭を俳句モードにしてごはんを食べるのも歩くのも五七五のリズムにそろえるとか。まあ、それは冗談だが、要するに生活の中のあらゆる場面で自分が感じたことを言葉ですくい取っていく習慣が必要なんだな。気持ちが何かにとらわれていてはとても無理。ここしばらくはパソコントラブルで頭がいっぱいでした。作れないわけだ。
ようやくノートパソコンを手に入れた。いろいろ迷ったあげく結局はウィンドウズマシン。2ギガのCPUに1ギガのメモリー。これだけの性能があれば何をやるにも十分だろう。初めてパソコンを買ってからまだ10年も経ってないというのにこれだけの進化。まるで徒歩と車ほどの違いがある、、、と思ったのもつかの間、さっそくトラブル。ADSLがつながらない。しかたないので20世紀に戻ってダイヤルアップで接続してみた。ギガパソコンでダイヤルアップとはね。で、接続はできたものの驚くほど遅い。でも当時はこれでも感動したものだったな。
2日ほど慌てふためいたあげく接続の問題はパソコンではなくルーターにあることが分かって解決。ようやくまともに使えるようになった。Macと比べればおそろしく無骨なビジネスマシンだが当分はこれで良しとしよう。
今夜から本焼き。