台所に残っていた生姜の上に蟻が数匹。どういうわけか身じろぎもせず標本のように乗っている。生姜の中になにか蟻の動きを麻痺させる成分があるのだろうか。それとも単に朝の冷気で動けなくなっているだけなのか。
菜の花のまわりに蝶が一羽。今年になってはじめてみるモンシロチョウだ。風に吹かれてひらひらと木の葉のように飛んでいったかと思うとすぐにまたもとの場所に戻っている。頼りなく見える蝶といえどもしっかりと意志をもって飛んでいるんだな。
宇宙空間でブーメランを投げたら地上と同じように元に戻ってきたという。ならば宇宙空間でロクロを挽いたらどういうことになるだろうか。
ロクロは回転力を利用し、重力に逆らって土を上に持ち上げていく。しかし土は柔らかいので常に下へ下へと落ちていく。つまり地上ではある一定限度を越えて柔らかい土を上に伸ばすことはできない。これがもし無重力の宇宙空間ならば土の粘性限界まで限りなく上に伸ばすことができるはずだ(上下の区別もつかないけど)。数メートル以上の壷とか、あるいはどこまでも水平に広がる大皿なども可能になるはずだ。
地上では重力に素直に従った形は安定感があるということで美学にもなっているが宇宙空間では人間の美学も変わっていくことだろう。
春分の日から二日間、台風のような風が吹き荒れた。風の強い日はホコリが舞って磁器の仕事はやりにくい。暴風が吹いてもホコリひとつ立たないような、そんな仕事場が欲しい。
棘だらけのタラノキからタラノメがほんの少し顔を出している。あと一週間もすれば食べごろか。ただその前に誰かに取られてしまうだろうな。
ここしばらく暖かい日が続いていたのでこのまま春かと思っていたら今日は一転、冷たい雨。薪がだいぶ残っていたのでストーブをガンガン焚いた。3月中にはまだこんな日が数日はあるだろう。
チベット情勢がよく分からない。情報統制がしかれていて現地からの情報が少ない。ただ漏れ出てくるところではラサ市内は戦場のようでもあると。
チベットに行ったことはないがネパールではチベットからの難民にずいぶん会った。1970年代の終わりころのことだがカトマンズの街外れにチベッタンキャンプと呼ばれる地区があった。キャンプとはいっても住まいはテントなどではなく普通の石積みの家。絨毯を織って生計を立てている家が多く、通りは絨毯のバザールのようだった。その中の一軒でおじいさんと身振り手振りで話をしていたら赤茶色のチベット服を見せられた。彼がチベットを脱出した時に着てきた服とのことでこれを買わないかと言う。現金が必要だったのだろう。貧乏旅行者のくせに言い値で買った。よくみたら虫食いもあったがクリーニングに出して今でも持っている。その服の色を見るたびにチベット民族の苦難を思う。国とはいったいなんなんだろうか。
削り終えて持ち上げたとたんに崩れてしまった。45センチの磁器の鉢で2ミリ以下は無理か。ガックリ。ただ薄さの限界にトライしての結果なのであきらめもつく。これからも限界主義でいこう。
70年代の初め、早稲田鶴巻町にキューブリックという写真スタジオ兼画廊があった。ロゴは「Q−BLICK」だったと思う。ビルの2階にあり、床も壁も天井も黒。当時としてはかなり前衛的な空間だった。しかもオーナーのIさんは同じ大学の学生だったのだな。東京はすごいところだと思ったものだ。
これはキューブリックへ行くたびに彼がよく作ってくれた白菜のとろみスープ。詳しくは思い出せないが我流で作ってみた。
鰹でだしを取り白菜をザクザク切って入れる。鶏肉(今回はひき肉を使った)を入れた後、ニンニク、生姜を加えて味付けは塩と醤油。最後に葛を溶かし入れて出来上がり。寒い日には体が温まりありがたかった。
初めて展覧会なるものを開いたものここだったし(たしか四人展)、写真の基礎を覚えたのもここだった。本当にお世話になったな。いつかキューブリックのメモリアルイベントが計画できないかと考えている。
焼き物はエネルギー大量消費産業なのでエネルギー資源の動向は常に気になる。70年代のオイルショック時には石油関連製品のほか、どういうわけかトイレットペーパーまでもが値上りして品切れとなった。現在は実質的に第二次オイルショックといっていいだろう。何しろガソリンが5割高、灯油は2倍以上になっているのだから。今回は資源ナショナリズムと新興国の経済成長が加わり、単なる投機的な暴騰から慢性的な供給不足となる可能性がある。これはもはやショックなどではなく危機と呼ぶべきかもしれない。エネルギー危機。
日本は石油と天然ガスは100%輸入に頼っている。しかも資源には限りがある。このままでは日本の将来は絶望的だ(日本だけではないけど)。
国内でまかなえるエネルギー源としては水力、風力、地熱、太陽光などによる発電と薪炭くらいか。このうち水力の利用はほぼ限界、風力や地熱利用は設置場所や気候に左右される。薪炭は熱源にしか使えない。というわけで今後最も有望なのは太陽光発電ではなかろうか。無尽蔵に降り注ぐ太陽光を電気エネルギーに変える。すでに実用化されてはいるが更なる革命的な技術革新が欲しい。日本のどこかにいないかなあ、お茶の水博士。
影がだいぶ短くなってきた。あと一週間ほどで春分の日。ついこの間まで薪ストーブ用の薪割りをしていたというのに今日のこの暖かさはなんだろう。午前十一時、路面からの照り返しがまぶしい。
畑の土手では知らぬ間にふきの花が開いていた。そばには開く前のもいくつかあったが採るのはやめた。夏には土手一面に葉を茂らせてくれ。
♪春をながめる余裕もなく、、、♪ 泉谷しげるの「春夏秋冬」がYouTubeにあった。こちらhttp://jp.youtube.com/watch?v=ckhTGPx8QHE
天気がいい日は昼間は暖かくストーブもいらない。今日は冬着のまま土を練っていたら汗がびっしょりと出た。しかし日が暮れてから外に出てみると風が結構冷たい。明日は雪がパラつくかもしれないとのこと。まだまだ油断できない。
松永伍一さんの訃報。この本はパソコンのそばの本棚にあった一冊。ミロ、ガウディ、モロー、マチス、ダ・ヴィンチ等々、全部で33人の作家の習作、デッサンが簡潔な文章で紹介されている。掲載されている作品はどれもみな完成度が高く魅力的。しかも本作以上に作家の内側に近づける。詩人らしい切り口の本だ。
函南町の火雷(からい)神社の境内に伸びていた大樹。近くに寄ると大きな山のような存在感があった。樹種は分からないが(おそらくタブノキ)樹齢は五百年くらい経っていそうだ。五百年前ならば室町時代か。こんな大樹のそばで毎日を過ごしてみたいものだが。
この神社の下には断層が走っていて、今も石段と鳥居が1メートルほどずれている。これは1930年に起きた直下型地震の跡らしいがこのときの断層のズレは最大で2.6メートルあったとか。そればかりかこの地域では50万年間で1kmのズレができているとのこと。まさに活断層地帯だ。
ハンドルネームというのがいまだによく分からない。どうしてこういうものを使う必要があるのだろうか。現実では実名、ネットではハンドルネーム。まるで内と外、ハレとケを使い分ける日本的な生活感にも思えるがそんな器用な二重生活はワタクシにはできません。
春の訪れと共にしばらくお休みしていたBBS(満月工房雑記帳)を再開することにしました。ブログのコメント欄だけではなにかもの足りないのです。デザインも一新しました。ご意見、ご感想などよろしくお願いします。アドレスはこちらhttp://www3.rocketbbs.com/604/mangetsu.html