三島でもらってきたタケノコをその日のうちに茹で上げた。近くに精米スタンドがあるのでそこで米ぬかをもらい、蕎麦用の大きな鍋を用意して1時間ほど。翌朝まで冷まして皮をむいたら家中に春の甘い香り。このまま何もつけずに食べても柔らかくて甘いし根に近いところはごま油で炒めてからダシにつけた。これも結構。タケノコは奥が深い。
これほど気持ちのいい個展は久しぶり、というかほとんど初めてだったかもしれない。すべて新作だったこと。十分な準備期間があったこと。迷いながらも長い休養がとれたことは決して無駄ではなかったようだ。今後の展開はさらに面白いことになりそうな気がしている。
ご来場いただいた皆様、どうもありがとうございました。
イラクへの自衛隊派遣が憲法違反との判決。三千円を払っただけのインスタント原告ではあるがこれで肩の荷が下りた気がする。しかしこんなあたりまえのことを証明するのに4年もかかるとは思わなかった。さらに判決が確定したあとも航空自衛隊はイラクで輸送活動を継続している。これも分からない。日本は三権分立の法治国家だったはずなのに司法の判断を立法府も行政府も無視している。責任者は誰一人責任を問われない。裁判は終わってもますます分からないことが増えてくる。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の作品に「停車場にて」という短編がある(残念ながら青空文庫には入ってなかった)。列車で護送されてきた殺人犯が熊本の駅で被害者の遺族である妻子と対面する場面。群集が見守る中でそのとき何が起きたか。
父親を殺された幼子の目。残された者の悲しみ。犯人を悔悟に導いたのは母親に背負われた子供の目だった。
弱い者ほど強がりを言い、臆病な者ほどときに狂暴になる。愚かでひ弱な人間がくり返す過ちと悔恨。当事者だけでなく、実は我々すべてがそんなどうしようもなく悲しい生き物なのだ。
加害者と遺族がともに救われる道があるとするならば、この人間という生き物が持つどうしようもない悲しみへの共感以外にはないのではなかろうか。
光市事件の裁判は終わったがこのままでは双方ともに哀れだ。本村さんの悲しみは犯人を死刑にすることで本当に癒されるだろうか。怒りの連鎖はどこかで誰かが断ち切らねばならない。まだ間に合う。彼には怒りではなく自分の悲しみを素直に犯人に伝えてもらいたい。
日曜日は友人たちと湯河原の旅館で宴会。地元のゲストも加わり夜遅くまで飲んでしまった。これだけ日本語を話すと脳も活性化してストレスも消えていくようだ。柔らかなお湯、滝を見ながらの露天風呂。山は険しいが人気のあるわけが分かる。
帰りは大観山を上って箱根へ。芦ノ湖畔の公園では桜が満開。
径40センチ、底が丸くなっている”ユラリット”の中に浮かべられた二輪のバラ(原種だそうです)。ギャラリーの原田さんの見事な演出により初日の会場は静かで華やかな空間となっていた。オマタタツロウ、淳子夫妻の演奏も同様にお見事。こうした人たちの才能に助けられて白磁の磁力?がさらに高まったように思えた。
ようやく搬入までこぎつけた。今回はすべて磁器の焼き締めによる新作展。何年も前から求めていた色と質感がようやく実現できるようになり、これが初めての発表なのだ。暴れる土には悩まされたが完成度は高いと思う。
帰りには箱根の温泉。雨のため川の流れが激しい。
徹夜続きの怒涛のような日々が過ぎ、ようやくひと息。想定外のトラブル続出のため幾度となく計画変更。意識朦朧とした中での判断なのでこれで良かったのかどうか。まあ初日を迎えれば分かることだろう。個展はいつも冒険綱渡りの連続。何があっても七転び八起きの心境で乗り切りたいが、しっかし疲れるなあ。