経営が破綻したリーマンブラザーズの経営者は昨年度36億円の報酬をもらっていたとか。これを見ただけでも破綻は当然だろうと思う。その場限りの利益追求であとは野となれ山となれ。経営者が会社の事業をサスティナブル(永続可能)なものとは考えていない証拠。これはほとんど計画倒産といってもいいのではなかろうか。しかしそうはいってもその影響は広がりそうだ。この一社だけではないところがさらに不気味。めぐりめぐって「洪水は我がふところにおよび」なんてことになるかも。まあ、たいしたふところはないのでワタシは安心だけどふところの大きい人にとっては不安な季節になるだろうな。
心配していた台風より昨日の雨のほうが激しかった。これまでの天気についての常識があてにならなくなりつつある。今日は二十四節気でいえば白露の終わり。耳慣れない虫の声が聞こえてくる。
ピアノを弾ける人がみんなピアニストになれるわけではない。それは日本語を話せる人がすべて詩人にはなれないのと同じようなことだ。学習や訓練は大事だが時にはそれ自体が音楽をスポイルしてしまうこともある。音楽家とは生きた音楽を奏でられる人。そのためには演奏家自身が活き活きと生きていなければならず、あるときは子供のように、あるときは哲学者のようになにものにもとらわれず、いかなる先入観や偏見からも自由であること。
今日の昼間に放送されていたNHKのスーパー・ピアノ・レッスンは面白かった。マリア・ジョアン・ピレシュというピアニストはぜんぜん知らなかったが、ウーンこんな人がいたんだな。言葉はスペイン語かポルトガル語のようだ。厳しい訓練でがんじがらめになった生徒の頭に柔らかい命の息吹を吹き込んでいた。
演奏家は機械ではない。音楽は自分の外にあるものではなく自分の中から生まれていくもの。このことは表現者にとっては天動説と地動説ほどの違いがある。若い彼らにどこまで通じるだろうか。もう遅いかもしれないけどまだ間に合うかもしれない。どちらにしてもこんなレッスンを受けられた子供たちはラッキーだ。
テレビではピレシュと表記されていたがピリスというのが一般的な呼び名のようだ。久しぶりにピアノが聴きたくなってきた。ピアノの響きをすみずみまで再現できるオーディオ装置が欲しい。
庭の石垣の間や畑のあぜ道などでよく見かける白い花。タマスダレというらしい。毒草でノビルなどと間違えて食べると大変なことになるとか。アブナイ、アブナイ。こんな身近なことでも知らないことが多い。学校へ入るための知識ではなくこうした生きていくための知識のほうがはるかに大切なのに。
山の上の展望台にいたノラ君。前を通ってもじっとしたまま無反応。カメラを向けても重そうにまばたきするだけ。体型はノラにしては珍しくメタボ。最近はやさしい人間が増えていじめられることもなくなったのだろうか。