一週間ばかり暖かい日が続いたがそれも今日までか。今夜からまた厳しい寒波がやってきそう。
今年はどこのスキー場でも大雪だとか。もう10年以上滑ってないが雪のニュースを聞くと気持ちが騒ぐ。スキー、温泉、日本酒の3点セットが懐かしい。ひところのブームも去って今は静かに楽しめるのではなかろうか。
パソコンの引越しと設定がようやく終了した。ノートパソコンは手軽で便利だけどちょっと重い作業になるとストレスがたまる。画面も狭いし見にくいし。そういうわけでやはりデスクトップを入れたのだ。今度もDELL。画面が広くなって写真が見やすい。これからガンガン活躍してもらおう。ただ音は少々気になるな。何とかしたいけどどうにもならないね。
4億円で土地を買ったら犯罪になるのか?4億円の出所がはっきりしないと逮捕されてしまうのか?恐ろしいことになってきたな。疑わしきは罰せずというのが近代法の考え方だと思っていたが日本は違うようだ。疑わしきはまず逮捕なんだな。そして拷問、じゃない尋問。それで自白を引き出して一件落着。まるで江戸時代だ。
ただ証拠ではなく自白によって事件を解決していくというこの手法はこれまでさまざまな冤罪を引き起こしてきた。それについての反省というのはないのだろうか。
一方では足利事件の再審が開かれている。これら二件の捜査手法には共通するものを感じてしまう。
薪ストーブの中に耐火煉瓦を敷いてみた。北欧製の高級ストーブの中にセラミックが使われていることから思いついたもの。これで燃焼効率が良くなりススが減ってくれることを期待しているのだが、、、。
昨年から文様について考えている。文様とは単なる装飾の技法だろうか。
たとえば唐草文様を見るときに感じる懐かしさのようなものはいったい何なんだろう。この感覚はどこから来るのだろうか。
枝の先からまた枝を伸ばし、葉を広げ花を咲かせる。終わることなく繰り返される成長のリズム。まるで生命の連鎖。DNAの二十螺旋。遺伝子の意思。
唐草文様が古今東西さまざまに変化し受け継がれてきた背景には永遠に繰り返される生命エネルギーへの憧れがあるのではないか。
「我々の美の感覚とは生命のプロセスと密接に関連し、我々の美の体系と生命の体系とは共振しあっているのかもしれない。」伊藤俊治著「唐草抄−装飾文様生命誌」より
朝出かけようと思ったら道路は凍ってるし車のワイパーは動かない。この冬は暖冬ということだったけどねえ。温暖化はどこへいったんだろう。