Lumix G1 + Kodak Ektar 44mm/f3.5 + Silkypix
陽が出ているうちは汗ばむくらいの暖かさなのに日が暮れてからは急激に冷えてくる。昼と夜の気温の差が大きいせいかこの時期の寒さはこたえる。
Lumix G1 + Kodak Ektar 44mm/f3.5 + Silkypix
夜半から雨。これから明け方にかけて雪に変わる予報。明日の朝はこの冬初めての雪景色かも。
北朝鮮が核実験。
Lumix G1 + Kodak Ektar 44mm/f3.5 + Silkypix
洒水の滝は落差70m。凍てつく寒さの中、水しぶきの轟音が響く。以前は滝つぼの下まで行けたが今は手前の橋が流されてこれ以上は近づけなくなっている。
今日は午前中から35℃近くまで気温が上がっていた。午後は雨の予報だったけど遠くで雷の音がしただけで雨は降らず。まだ6月だというのにこの暑さでは先が思いやられる。
外に出ればマスク姿があたり前になり、家に帰ればエアコンと空気清浄機。いまや空気でさえもお金がかかる時代になった。ペットボトルの水を買うようになったのはいつ頃からだったろう。震災以降はこの習慣がすっかり定着してしまった。
衣食住というけれど、その前に空気と水がなければ人は生きていけない。呼吸ができなければ1分くらいで気絶してしまうのではないかな?水なしでは3日持つかどうか。普段はめったに意識することもない水と空気の有難み。ところが震災以降、この水と空気が安全ではなくなってしまった。
今年初めての真夏日。やっぱり今年も暑い夏になるのかな?それにしても不思議なのはこれだけ暑くなったのに蚊がいないこと。考えたくないけど、やっぱり考えてしまう。不気味。
昨日から急に暖かくなった。この冬の暖房計画を厳冬仕様で考えはじめていたところだったのでちょっと拍子抜け。まあ、なに事も「のどもと過ぎればなんとやら」というわけで、現状のままでもなんとかやっていけそうな気がしてきた。
富士山の周りにはいたるところに湧き水が出ていて地域を潤している。ここは富士宮のとなりの芝川町。道路わきの用水路を澄んだ水が勢い良く走っていた。山は(特に火山性の山は)それ自体が大きな貯水ダムでもある。
台風の後、あきらかに風向きが変わったようだ。季節の変わり目。今日はツクツクボウシが鳴いていた。今年初めてかな?
写真は丹沢の水場にて。
「岩肌にこぼれる雫セミの声」 唐四郎(トーシロー)
一応17文字になりました。
「岩肌に雫こぼれてセミの声」のほうが良かったか?(9/11追記)
台風前の静けさ。風もなく梅雨に逆もどりしたように蒸し暑い。明日の今ごろは暴風雨か、それとも台風一過の星空か。できればスポーツカー並みの速さでさっさと通り過ぎて欲しいものだが。
硬い岩盤の上を流れる川。水面をよく見るとまるで地形図のように細かい凹凸ができている。あるいはこの褶曲がそのまま岩盤のようでもある。山梨県上野原市西原(さいはら)地区を流れる鶴川にて。
村上被告に実刑判決とのニュース。インサイダー取引とか、一般投資家を欺いたとか。でもこういうことってどこの証券会社でも日常的にやってることではないのかな???
そんなことよりこういう人は少なくとも役人や銀行員よりお金儲けが得意なのだから、いっそのこと年金積立金を運用してもらってはどうだろう。ホリエ君やウエクサ君なんかもまじえて「特攻野郎Aチーム」を作ってもらい、彼らに運用を任せてしまうのだな。株、為替、債権、M&A、、、なんでも駆使して年間50%の運用益を上げてもらう。150兆円が一年後には225兆円。これを続ければ六年後には11倍。十二年後にはなんと130倍になる。こうなったらもう保険料の徴収など必要ない。ついでに税金もこれで面倒みてもらおう。所得税、住民税、法人税すべてゼロ。もちろん消費税撤廃。そのほか酒税、ガソリン税、重量税などなど、とにかく税金と名のつくものはこの世から消えてしまうのだな。さらに医療費も完全無料。教育費も大学まで無料。かくして12年後には人類史上初めての花咲じいさんの国が実現する。これぞジャパニーズ・ドリームだ。
♪ ニッポンの未来は、、、
世界がうらやむ、、、 ♪
成功の暁には彼らには十分なボーナスが支給されることだろう。刑務所なんぞに入れておく場合ではないかもよ。(7/25加筆)
こんなストーリーで面白い映画ができないかな。
台風が去っても青空が見えない。気温が低いのはいいがこの曇り空にはそろそろ飽きてきた。
雨あがりの水滴はまるでガラスのようだ。光の角度によっては葉の葉脈までまるで顕微鏡のようにくっきり見せてくれる。
昨日とはうって変わって梅雨らしい雨の一日。ブラックベリーの大きな葉の間に張られた蜘蛛の巣に雨粒がびっしりついている。これでは蜘蛛も商売あがったり。居場所さえなさそうだ。
水が落ち込んでいるところを上から撮ろうと思って飛び石伝いに川の中ほどまで進んだところでバランスを崩し左足を水の中にドボン。運動神経やバランス感覚には少々自信があったのでちょっぴりショック。でもさほど冷たさは感じなかった。
天気の変わりが目まぐるしい。朝は晴れていたのに午後からは急に暗くなってパラポラと降りだす始末。湿度が高いので雨が降ると梅雨に逆戻りしたような気がしてくる。
写真は小田原城のお濠で撮ったもの。水面が風をうけて揺れているだけだがよく見るとその中でいくつもの目が消滅を繰り返している。
水しぶきをあげて躍動する谷川の水。シャッターは1/200秒。このくらいの速度で撮ると肉眼で見るイメージとほぼ同じになる。ということは人間の目と脳の画像処理速度は1/200秒=0.005秒程度なのかな?けっこう速い。
自転車で10分ほど走ると金目(かなめ)川に出る。丹沢南麓から流れ出した葛葉(くずは)川、水無(みずなし)川が秦野市内で合流しこの流れを作っている。川沿いには細い遊歩道があり自転車で走るのにちょうどいい。長い梅雨が続いているが川の水量はさほど多くない。
2年前に訪れたときはたっぷりと水が流れていた川が今では川底が干上がるまで水量が減っている。原因は富士山麓の工場群が地下水を大量に汲み上げているため。生活をとるか産業をとるか。湧き水がなくなればこの町自体が干乾びてしまうような気がするのだが。ここ数年が正念場かもしれない。
かるく「花」につっこみを入れるつもりでいたのに、考えていたらいろんなことが出てきて収拾がつかなくなってしまった。おまけに文章も論文調の硬いものになってきてますますしんどい。そこでここではこの歌を聞くたびに感じる違和感のようなものを記すだけにしておきたい。
もの作りにはその人なりのクセや志向というものがあって、自分とはまったく異質なものを突然変異のごとく作り出すのは不可能といっていい。ところがこの歌は喜納昌吉のそれまでの沖縄民謡ロックとはまったく異質。音階、リズム、ことば、何もかも違う。これはどういうことだろう。
山の水を汲みに丹沢の麓まで行ってきた。およそ半年振りくらい。冬の間は水道水でもいいか、と思っていたが変えたみたらお茶の味がやはり違う。「まあいいか」で済ませているといつのまにか味覚が鈍ってしまって、それはひいては生活全体にまで響いてくる、、、ような気がする。水は元気のもとでもあるんだな。
山の上り口にある一軒だけの食料品店。桜と共にある暮らし。昔はどこにでもあった風景だが今となっては懐かしい。
三島での個展の最終日、車で10分ほどの柿田川湧水池へ行ってきた。地元の人達の話では近年湧水量が極端に減っているらしい。実際に見ても確かに拍子抜けするほど少ない。市内の楽寿園という有料の公園でも池の水が干上がっていた。
原因はいろいろあるだろうが先ず富士山の降雪量の減少。それから山麓の工業団地。この影響は大きいだろう。それと近郊での人口増加も考えられる。三島からは横浜、東京へ新幹線通勤という手があるのだ。高層マンションだって建設中だった。
かつて日本は水の国と呼ばれ、水と安全はタダとさえ言われていたが、その二つとももはや危うい。ペットボトルの水とガソリン、いったいどちらが高いかな?砂漠の産油国の話ではないのに。
このところ家にこもりっぱなしで外に出ない日が多い。写真も撮れなくて更新が滞ってしまった。夏至を過ぎてもまだまだ夜明けは早く、4時頃には明るくなる。写真は今朝、みょうがの葉の上の朝露。雨が降ったわけでもないのに粒が大きい。から梅雨とはいえ湿度は高い。
湧き水が出ているところは道路脇なので見つけやすいけれども、その道は一般車通行禁止。その理由は入ってみればすぐに分かる。崖が崩れて道路の上には大小の岩がゴロゴロ。いつ落石があるか分からないので歩いて行くにもヘルメットがあった方がいいくらい。
崩れやすい丹沢にはいたる所に砂防ダムが作られている。しかしその工事のためにさらに崩壊が進み、ダムはたちまち瓦礫に埋まってしまうというイタチごっこ。道路の建設も山肌には打撃だろう。
そんなところにある湧き水だけれども、丹沢の水の中では一番おいしいと思った。少々危険ではあるがまた行くことになるかな。
先日丹沢へ行ったときに、川の流れを見ながら数年前のことを思い出した。
初めは焼き物に使う石を探しに山へ入っていたのが、いつのまにか渓流の水の動きに引き込まれていた。
水は生きている。その躍動する生まれたての水の姿をとらえたくて大判写真を撮り始めた。使っていたのはスピグラ(スピード・グラフィック4x5)にエクターの127ミリ。このシリーズをポストカードにするのもいいかなと最近考え始めている。