手前の土地が地上げされ、ブロックの壁面がむき出しになってしまった建物。屋根の形の上にさらに住居らしきものが建てられている。2階建ての屋根の上にこっそりと造ってしまったんだろうなあ。
今回、銀座を歩いてみてこんな光景によく出くわした。地上げの横行。ちょっぴりバブルのころを思い出した。
銀座の様子はここ1,2年でずいぶん変わった。昼間の主役は完全に外国人観光客。夜の通りは人も車も少なくなった。栄枯盛衰。なにごとにも浮き沈みはある。
今日から五月。3ヶ所での個展、展示会で慌しくしているうちに花の季節もあっという間に過ぎてしまった。今夜の写真は銀座帝国ホテル前の路上から。日比谷公園の地下駐車場をよく使うのでここは見慣れた風景だけど、前の車道を通る車の数はめっきり減った。都内を走っても渋滞に合うことも少ない。まあ、いいことだろう。
明日からはまた怒涛の一週間。連休中の3、4、5、6日は銀座でかんづめ。(正午から夕方6時まで)こちら。運がよければ蕎麦もあるかも。
というわけで明日からはしばらくブログ更新できません。
一日は40時間だったっけ?一瞬、どこか違う世界に迷い込んだかと思ったけど、、、単なるミスなんだろう。ここはどこかの裏通りなどではなく天下の東海道、大磯町内の国道1号線なのだ。誰も気付かないのかな。
Lumix G1 + Canon FD50mm/f1.4 + Silkypix
急に暖かくなった土曜日と日曜日、二日続けて真鶴へ。遠くは東京、横浜さらには静岡からも見に来ていただきました。本当にありがとうございます。
なお、会期は17日(日)まで一週間延長されました。12日(火)、13日(水)はお休みです。
浅間神社は富士信仰の神社で祭神は木花咲耶姫命(このはなのさくやひめ)。関東一円に無数に点在しているけれども(1300社くらいあるらしい)、読み方が「せんげんじんじゃ」と「あさまじんじゃ」の二通りがあっていつも迷ってしまう。数では「せんげん」の方が多いようなのでとりあえず「せんげん」と読んでおけばいいのかもしれないが。
写真は御殿場市内の浅間神社。梅雨どきなのに空気が乾いていて心地よい。
コインパーキングの奥に立てられたペンキ絵。フリルが付いて照明まであてられている。何かの広告というわけでもなさそうだ。普通に考えれば無駄とも思えるが最初に見たときはなぜかほっとした。こういう無駄なものが最近は少なくなった。無駄なものがない町はつまらない。
「さいたま」っていつからひらがなで書くようになったんだろうか。さして難しい漢字でもないのだから埼玉のままで良かったと思うけど。
今日はそのさいたまへ日帰りで行ってきた。近県なのに行くのはほとんど初めてかな。しかし都内の渋滞をを抜けるだけで2時間。もうこれだけでくたびれてしまった。
首都高3号線の大橋から池袋へ抜ける新しくできた路線はすべてが地下のトンネル。ここの渋滞にはまってしまったのだ。車にエアコンは付いてるけどそれでも酸欠になりそうだった。もう二度とこのトンネルには入りたくない。
地上げにより取り壊されると噂されていたのはバブルの頃だったか。あれから20年、ゴールデン街はしぶとく生き残っていた。どの店も繁盛しているようで結構、結構。
ただ、一つの時代の終わりも感じてしまった。ノスタルジックではあるけれど、もうこの街から何かが生まれることはないのではなかろうか。(10/30追記)
ここへは15年ほど前に一度来たことがある。アート・アンサンブル・オブ・シカゴと山下洋輔が共演したコンサート。当時はこの建物を保存するか解体するかで揺れていた時期だったと思う。内部はがらんどうでレンガの壁が剥き出しだった。ところが今回行ってみたら様子はまるで変わっていた。建物内部には専門店やレストランが並びホールもできていた。周りの広場や公園も整備され一種の街のようだ。ここは横浜の新たな観光スポットとなりそう。
阿佐ヶ谷駅で中央線と直角に交わる中杉通り。狭い間隔で植えられたケヤキ並木が鬱蒼とした森を思わせる。若葉に覆われた通りは明るい緑のアーケード。東京百景には是非加えたい場所のひとつ。
三島市内の湧水量は訪れるたびに減っている。工場による地下水の汲み上げ、富士山の積雪量の変化など原因は一つではなさそうだ。源兵衛川でもおしどりが足で立っている。
これも楽寿園から流れ出る蓮沼川。ホタルの保護のため柵がしてあった。
とうとうmixiに登録してしまった。ずっと避けてたんだけど若い人に勧められて。インターネットの世界で発信している以上、いつまでも食わず嫌いではいられないかなと。
東京で最近よく目にするのが高層の住宅ビル。ちょっと目を上げたくらいではてっぺんが見えないので首をもう一段反らさないといけない。狭い敷地に建っているためどれも細長く頼りない。
新宿副都心の高層ビルが建ち始めたのは70年代だったと思う。以来日本の高層建築はまだ大地震を経験してはいない。これで本当に大丈夫なのか?まちがっても実験台にはなりたくないな。
「目を上げてまた目を上げて仰ぐ空」
「雑踏に腰を反らせて仰ぐ空」
東京へ出る時は車を使うことが多い。アルコールを飲めないのは不便だが電車に乗る恐怖を思えばたいしたことはない。自殺者の数は毎年3万人以上。人身事故で首都圏の電車が止まることは日常的になってきた。そのうちニュースにすらならなくなるかもしれない。どうしてこれほどまで追いつめられてしまうのだろうか。
「幾千の無辜の魂昇華して中央線は哀しからずや」
秦野市には菖蒲という地名がある。名前のとおり、近くのお寺には大きな菖蒲園がある(らしい)。その地区の公民館へ焼き物講師として出かけたついでに付近を散策。そこで目にしたのがこうした道祖神の祠。青竹の柱に杉葉の屋根。こまやかな心遣いが生きている。
右を向いても左を見ても八方ふさがりの真っ暗闇夜。これからどうしていきませう。
「蛙たち」は都内でも珍しくなったシャンソンクラブ(唯一かも?)。前を通るだけでまだ入ったことはない。騒々しい表の銀座もあるがまだまだこんな一角も残っている。
火曜日は東中野から銀座へまわり、森田画廊で作品の引き取り。そのあとさらに阿佐ヶ谷へ移動し、禁酒禁煙中のI氏のお見舞い。励ますつもりが逆に励まされてしまった。目に映る現実の移り変わりは激しい。しかしそれでもなお変わらないものが確かにある。
暮れから寒い日が続く。関東では雨も雪も降ってないが北国では大雪とのこと。あまりの雪の多さに閉鎖してしまったスキー場もあるとか。夏は熱帯、冬は寒帯。なんだか四季の変化が極端になってきたような気がする。
首都高湾岸線のお台場付近。観覧車のイルミネーションが刻々と変わっていく。
イスタンブールから長距離バスで7時間。サフランボルはアンカラの北、黒海沿岸に近い山間の町。世界遺産に登録されてから10年以上経っているがさほど観光地化は進んでいない。石畳の上に木と土壁の家並みが続き、さびれた街道町の風情が残っている。
ガラタ橋名物のサバサンド。三枚におろしたサバを鉄板で焼き、トマトや玉ねぎなどとともにパンにはさんで食べる。ほかにもムール貝、果物、ナッツ、スナックパン、それにジーパン、靴、時計、おもちゃなどいくつもの露店がひしめきあい、この船着場周辺はいつも縁日状態。街はこれだから面白い。遠くに見えるのが旧市街と新市街を結ぶガラタ橋。
昨日の早朝、久々に大きな揺れ。前日の稲妻雲はやはり地震の前兆だったのかもしれない。
冷たい雨の日の土仕事は寒いばかりで調子も出ないので出かけることにした。銀座の森田画廊まで作品の引き取り。車で行くとアルコールが飲めないのがつらい。
都内へ出たついでに東京ミレナリオを見てきた。会場の大手町界隈は予想以上のすごい人だかり。明かりに吸い寄せられる夏の虫のように、光を求める遺伝子は生物の中にしっかりと受け継がれているようだ。都会に人が集まってくる来る理由も分かった気がした。
この催しにはフェリーニの映画のセットのようなものを想像していたのだが、実際はイタリアというよりビザンチン?中世的な宗教色の濃い造形は今の時代の気分とも合っているのかもしれない。しかしそこは気になるところでもある。
音楽も何か(女性の歌?)流されていたが会場警備のハンドマイクがうるさくてほとんど聞き取れず。ここでも過剰警備。おまけにドームの先に見えるのは巨大なカラオケのネオン。夢に浸るのはむずかしい。
東名高速で用賀までは順調だったのに、用賀から霞ヶ関までは首都高速で110分の表示。たまらず一般道へ降りたらさらにひどい渋滞。年末の金曜日でしかもボーナス後。納得。
10月にオートマチック車に乗り換えたので以前ほどの疲労感はない。しかし結局銀座へ着いたのはそれから2時間あと。さすがにクタビレマシタ。森田画廊からKajima。せっかくいろんな人に会えたのに、すでに抜け殻だったかも。
芝公園を目指して抜け道を走っているといつもここに出る。オレンジの光は高度成長期の色。懐かしい色だが残念ながら今世紀の色ではないように思う。80年代から90年代は青から紫。そして21世紀は灰色か。
昨日までの晴天とはうって変わって今日は朝から雨。しかも豪雨。10月最初の日曜日。運動会の中止なども多かったことだろう。
写真は都電荒川線。乗ったのはおそらく数十年ぶりか。なんだか遊園地の乗り物に乗っているような気分。東京もまだまだ面白い。
月曜日に搬出を終えてようやくひと段落。暑くてあわただしい夏だった。
東京は相変わらず音の洪水。数日通っただけなのに今でも耳鳴りのように聞こえてくる。冷静に対処しているつもりでもいつのまにか全身を飲み込まれている。「洪水は我が魂におよび」なんて小説もあったな。
はじめて歩いた原宿裏通り。ヒューマンスケールのお店が並ぶ一角にアトリエ「マジックシアター」はあった。3人で営む小さな金属工房。作られているアクセサリーにはたっぷりと手作り感があってなごむ。東京にもまだこんな空間が残っていた。
雨の中、陶芸展の搬出のため横浜まで行く。昨日の晴天からはとても考えられない冷たい雨。今年のお花見はこれで終わりかな。ただ道路が空いていたのは助かった。
写真は昨日の桜木町。変わったバス停だと思ってよく見たら違っていた。「世界人類が平和でありますように」。よく観光地などで目にする言葉だが、これが各国語で書かれている、、、ようだ。英語と中国語(漢字)はかろうじて読めるけれども、読み方すら分からない文字のほうが多い。世界は広い。「世界人類」という抽象的な言葉ではたして捉えきれるのかな。
友人の展覧会のオープニングのため三島へ。電車で行くつもりがつい億劫になって車になった。箱根を越えて1時間ほど。三島大社の前を通る頃には日も暮れかけていたので境内にも入らず、鳥居だけ車の中から拝んできた。
帰ってから釉がけ、そして本焼き、、、の予定。
曙アパートではなくて曙ハウス。しかも右から読む表札のなので戦前からの建物なのだろう。建てられた当初はハイカラな集合住宅だったに違いない。人気もあったはず。ところが今や廃屋、、、と思いきや、二階の左側の窓の赤いカーテンが気になる。窓枠もアルミサッシに替わっている。
街の中のブラックホール、あるいはお化け屋敷。どちらも好みではあるけれど、これはバブルの遺産なのかもしれない。こうした廃屋(のような)一角はここだけではなかった。
細い路地のあいだに高くそびえる銀色の煙突。谷中銀座からほど近く、車もろくに入って来られないようなところに銭湯があった。コインランドリーも併設されていてお年寄りが数人洗濯機を回していた。短時間の路地裏散歩なのにこれで2湯目。この地域にはまだまだ銭湯が生きている。
東京へ出たついでに日暮里から谷中、根津、千駄木を歩いてみた。 東京近辺に30年近く暮らしていながらまだ一度も歩いたことがなかったのだ。
谷中の墓地は広大。その周辺にはやたらとお寺が多い。江戸時代の都市計画の名残りという話も聞いたことがあるが、確かに多い。それともうひとつは坂道の多さ。坂道というのは街が栄えるための条件のひとつでもある。商店街も面白い。一度くらいは生活者としてこういう街に暮らしてみたいものだ。
カトマンズへ行ったとき、どこか見覚えがある町だと思った。群青色の空。澄んだ空気。木造の建物に漆喰。遠くに見える雪山。松本とは山に囲まれた都市に共通するものがあった。
この日の浅間温泉の街の上にも群青色の空。しかし晴れてはいてもやはり冬の風は冷たい。風呂上りに少し散歩しただけでも手足が冷えてきた。
昨夜から気温がかなり下がってきた。いよいよ本格的な冬。松本では今ごろは氷点下かもしれない。
今夜から今年初めての本焼き。お神酒でもあげるとするか。
この建物は実は共同湯。しかし入り口には「地区の人以外は入浴お断り」の張り紙が貼ってある。つまり地元の人専用の外湯。少し歩いただけでこうした共同湯が二つあったので、町全体としてはかなりの数にのぼるのではないかと思う。
作家の加島祥造氏は昔、浅間温泉の芸者置屋の二階に下宿していたと聞いたことがある。ここから大学へ英語を教えに行ってたのかな。いい時代にいい場所を選んでいる。温泉街の上のほうには陶芸家篠田義一氏のお宅もあった。しかし登り窯の跡には標識が立っているだけ。あたりは枯れ草に覆われ窯の痕跡を見つけることはできなかった。