箱根山が昨夜から噴火を始めたようだ。監視カメラの映像には噴石が飛ぶ様子も映っている。地震と違って火山の噴火活動はまったく予測できないといわれている。今後数ヶ月は注意が必要だ。
NHKのライブカメラはこちら。
足柄平野の先に立ち上がる箱根外輪山。地形図で見ると箱根は典型的なカルデラ火山であることが分かる。今のところ火山活動は小康状態。このままおさまってくれるといいが。
27日正午前、木曽、御嶽山爆発。一日経った今日になってようやく被害の大きさが分かってきた。犠牲者は現時点で30人以上と思われる。山上に残された人たちの救出作業が迅速に進むことを願う。
地震、津波に大雨と土石流。さらには火山の爆発、火砕流。自然の猛威の前に人間はなんとひ弱なことか。
午前中の晴天が午後から一変。昨日と同じくまた雨。しかも気温が低く、東京では雹が降ったとか。夕方、雨も止んだので外へ出たらさむー!今冬一番の冷え込みかもしれない。大山の上のほうもわずかに白くなっている。
Lumix G1 + Kodak Ektar 44mm/f3.5 + Silkypix
一雨ごとに若葉が茂り、山全体が盛り上がったように見える。
箱根も伊豆も霧だらけ。不安定な天気が続いていて明日はまた真冬並みの寒さだとか。もしかしたら桜の後に雪を見るなんてことになるかも。
今日は新月。チベットでM7.1の地震。
モリヤを検索すると旧約聖書に出てくるイスラエルのモリヤ山が先ず出てくる。エルサレムの嘆きの壁一帯を示すらしい。いうまでもなくユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれの聖地。このモリヤ山と諏訪の守屋山を関連付ける記述も多い。そのことの真偽はともかく、対外交渉の場においてモリヤという名が欧米人に強烈な印象を与えたであろうことは想像できる。
一説によれば物部氏は天皇家(神武、ヤマトタケル)以前からヤマトを治めていたとのこと。蘇我氏に敗れたあとも各地に散在し天神(菅原)、陰陽師(安部)などとも関わりがありそうだ。メールで寄せられた情報では天狗伝説も物部氏が起源だとか。モノノベはモノノフでありモノノケでもあったんだな。
物部守屋は仏教導入をめぐって蘇我馬子・廐戸皇子(後の聖徳太子)らと争い、587年に敗死。その後、物部姓は日本の正史からは消えるがその類縁は名をさまざまに変えて生き延びたのではなかろうか。守屋、守矢、守谷などのモリヤ姓はその流れではないかと思うのだ。
モリヤと聞いて最初に思い浮かぶのは諏訪大社の御神体である守屋山。そして代々諏訪大社の神官を務めてきた守矢家。守屋山の麓には神長官守矢資料館(建物は藤森照信氏の設計)というのもある。
ところで写真の守屋神社は守屋山の南側、高遠町の杖突街道沿いにあった。正式名は物部守屋神社。古代史によれば物部(モノノベ)氏は強大な軍事力を持った豪族だったとのこと。
防衛省の事務次官だった守屋某という男の顔は皮膚がたるみ、緊張感がまるでない。官僚というよりはコメディアンが似合っている。こんな人物が防衛省(庁)の天皇として四年間も君臨していたとはとても信じられないことだ。これには個人の能力とは別の何か他の力がバックにあったのではなかろうか、と考えたくなってしまう。そこで気になるのがモリヤという名前。
気がつけば12月も18日。クリスマスやら正月やら慌ただしい日々が迫っているというのにまだ何も準備ができていない。
先日の箱根からの帰り、国道一号線を走りながら改めてすごい坂道だということがわかった。車のエンジンブレーキが利かないほどの急坂。こんな坂道を20キロ以上走りつづける駅伝というのはとても人間業とは思えない。しかしそんな人間業を越えることをやってしまうのがまた人間なのだな。いつか箱根の山道で駅伝の応援をしてみたい。
まだ緑が多い里山の上に突然現れた白光。ここはネパールかはたまたチベットか。見慣れた田舎道を走りながら一瞬ここはどこかと思ってしまった。先日の台風が大気を掃除してくれたのだろう。そして富士山には深々と新雪を降らせてくれたようだ。
それにしてもこの風景は現実離れしている。まるでチベットのカイラス山を見ているようだ(行ったことはないけど)。
午前中から富士山周辺の山中湖、忍野村へと出かけてきた。富士山は北斜面が薄く白化粧。その中に登山道のジグザグの道がくっきりと見えた(写真では見にくいかな?)。
バッククミラーに映る夕焼け空。車を止めてカメラを取り出しパシャ。見れば富士山から箱根の連山まで見事なシルエットで浮かんでいる。富士山があるとどうしても画面の中心が決まってしまうが、次はパノラマで撮ってみよう。
今日もアベ君。優勢にゲームを進めながらもなんだか覇気が感じられない展開。そして案の定終了間際に失点してしまった。けっしてアベ君だけのミスとはいえないけど記録には残るな。(サッカーの話です、念のため)
サッカーにかぎらず日本のスポーツは型にこだわりすぎると思う。攻撃の型、守備の型をおぼえて監督の前で優等生になりたがる。結果として模範的なきれいなサッカーはできるけど意外性のあるプレーには対応できない。思考の範囲が狭いんだな。まるで日本社会の縮図。井の中の蛙だ。これはチームスポーツの宿命かもしれないがしかしその中にも一人くらいは天衣無縫の野生児がいて欲しいな。
写真は広重の東海道五十三次にも描かれている高麗山(こまやま)。
花水川下流から大山(おおやま)を望む。標高1252m。大山は別名「雨降(あふ)り山」とも呼ばれ、中腹には大山阿夫利神社がある。江戸期には観光スポットとなり、大山詣りは江戸庶民にとって手軽な団体ツアーとなった由。
昔の棚田も農地改良とかで機械が入りやすいように直線的な区切りに変えられている。情緒はイマイチ。しかしそれでも空を映す水面が幾重にも連なる景色には見とれてしまう。遠くに見えるのは雲に隠れた八ヶ岳。
満月工房ホームページを開設したのが2001年11月19日。今日でちょうどまる5年。月日がますます早く過ぎていきます。ブログの更新も滞りがちで危ういかぎりですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。
写真は先週行ってきた丹沢山中の寄(やどりき)。
冬タイヤに関しては今と昔で隔世の感がある。以前はノーマルタイヤにチェーンを巻くのが一般的だった。しかしこれが大変で雪道にさしかかるたびに付けたりはずしたり。しかも慣れないと脱着だけで30分以上かかり、手も足もびしょ濡れ。とにかくタイヤチェーンについては苦い思い出しか残っていない。
粉塵問題からスパイクタイヤが使用禁止となったのは今から十五年程前だったか。その後普及したスタッドレスタイヤによって雪道の走り方は一変した。目的地まで一度も車を降りずにたどり着ける。これには感動した。
写真は先月末に出かけた八ヶ岳。今年は暖冬予想だったのに雪が多い。幹線道路をはずれると雪が固まっているところも多かったがスタッドレスと4WDのおかげで一度もスリップすることはなかった。
伊東市の南、大室山の麓は伊豆高原と呼ばれている。海のそばでありながら標高が高い。つまり冬は暖かく夏は涼しいという理想的な環境なのだが、行ってみて驚いた。案内所にあるチラシをみたら日帰り陶芸教室だけでも6軒。他にもガラス、染色、七宝、蕎麦打ちなどの体験教室が山ほどある。いうなればカルチャー観光スポット。こういうところで落ち着いた仕事をするのは難しいかな。
夕暮れ時にちょっと見晴らしのいい場所へ行くと「富士山カメラマン」によく出会う。たいてい(というよりすべて)年配の男性。三脚を立てて何時間も前から場所を取り夕焼け富士をねらっている。ゴクロウサマ。
午後5時に本焼き終了。今年の窯はこれが最後。いまだに来年の見通しは立たず。半ば開き直りぎみの年末だ。
写真は昨日の続き。
昨夜窯を焼き終わって、今夜窯出し。続けてこれからまた素焼き。窯焼きが続くたびに大切なエネルギーを無駄遣いしているのではないかといつも気になる(実際浪費している。ただそうした失敗や駄作の上に今の自分があるともいえる)。しかも使っている電気の三分の一は原子力。東京電力に貢献するのもそろそろ終わりにしたい。次は薪がいいのだが。
写真は新潟地震の前日、22日の金曜日。湘南平の展望台から見た富士山の夕景色。何事もなく平和な空だったのに。
空の透明度が増し、ようやく秋らしくなってきた。思えば長い夏だった。日本はもはや温帯ではなく、亜熱帯といっていいと思う。仕事を含めた生活スタイルをまるごと変えたほうがいいのではないかな。
中央高速から見る八ヶ岳。いつ見ても美しい。なだらかな裾野を持つ安定した造形美。背振りの山も阿蘇の山容も今ではもうはっきりとは思い出せないけれど、この山にはそれらと似たものを感じている。この山もアリガタキカナ。人には水を、心には山を。
午前10時の気温が29度。夏の平均的な気温なのかもしれないが今年はこれで涼しく感じる。8月に入ったばかりだというのにすでに夏の終わりのような風。今までが暑すぎた。季節のめぐりが早くなっているのかな。
写真は先週通った箱根、宮ノ下。山の中腹に不思議な光の模様。大文字焼きかと思ったが形が違う。鏡もちのようなUFOのような、、、。こりゃ何?
変則的に動く台風のおかげで先週末から雨、風、雷の3点セットの連続。ひところの狂熱的な暑さは峠を越したようだが(甘いかな?)、それでも湿度が高いので調子は出ない。水浴びしてビールの繰り返し。
台風の中で行った箱根(通り過ぎただけ)はまたも濃霧。気温は22度。ほんのちょっぴり通りすがりの避暑気分。
広重の東海道五十三次・平塚宿の版画に描かれた高麗山(こまやま)はちょうどこのくらいの角度から見たものだと思う。ただし当時の東海道はこの道より10メートルくらい右側(北側)。今でもわずかになごりが残っている。
うるう年、2月最後の日曜日。海の近くで友人がギャラリーを始めることになって、今日はそのオープニング。「サロン・ド・ダーユ」、なかなか気持ちのいい空間が出来ていた。
元旦の北アルプス常念岳。標高2857m。今年の正月は暖かく雪の量もまだ少ないようだ。手前の町並みが松本市。
山登りというのはほとんど経験がないし、ましてや雪山に登るなどとは考えたこともないが、こうして遠くから眺めるのは好きだ。重量(質量)のあるものは引力も強い(たぶん)。だから高い山はそこにあるだけで周りのあらゆるものに影響を与えているはず。人が抱く山への憧憬や信仰も、もしかしたら物理的なこの引力のせいなのかもしれない。
昨日から全国的に冬型の荒れ模様のようで、各地で大雪となったらしい。上越のスキー場では一晩で1メートルの積雪があったとか。そういえば各地のスキー場の積雪情報に一喜一憂していた時期もあった。もうずいぶん長くスキーを履いていないが、年に一度くらいは雪景色の中で遊んでみたい。
日本海側とは一日遅れて、今日はこちらも冷えてきた。遠くに見える富士山もとっくに雪をかぶっている。
今日の空も快晴。夕方川沿いの道を散歩に行ったら夕陽の方角に富士山がくっきりと見えた。ところがいくら歩いても電線が途切れることなくついてくる。日本の空はどこもかしこも電線だらけだ。
写真が好きな人は多い。デジタルカメラも急速に普及している。しかしそれとは逆に、撮るべき風景というものは急速に失われているのかもしれない。
雨が降っているのに暖かく、秋というよりは梅雨のような一日だった。天気図を見たら台風が来ていて、どうやらその影響らしい。季節はずれの台風。これも地震と関係があるのかな?
色づき始めた高麗山の木々も小雨に濡れてけむっている。午後は亡くなったSさんの家に花を供えに行ってきた。