Lumix G1 + Kodak Ektar 44mm/f3.5 + Silkypix
雪景色の予報は大ハズレ。朝から晴天で昼間はストーブを焚かなくても20度近い気温。寒さの峠は越えたかな。
Lumix G1 + Kodak Ektar 44mm/f3.5 + Silkypix
強力な寒気団に備えて身構えていたのにちょっと拍子抜けするくらい暖かな一日。風もなく快晴。日差しにも徐々に力強さが感じられるようになってきた。今夜も凍結の心配はなさそう。
琵琶湖の湖底で熱水が湧き出しているという観測、あるいは桜島ではマグマが相当量たまっているという研究。この記事。
過去には大地震と火山の噴火は連動していることが多いので油断できないな。
facebookに復帰しました。SNSはどうも相性が良くなくて長続きしなかったんですが、今回はどうかな。まあ、程よい距離でゆるりと続けていこうと思ってます。サイドバーの一番下にリンクバナーを設けました。どうぞ気楽にフォローしてください。
空気がだいぶ緩んできた。氷が張りつめたような冬の空気とは明らかに違う。昼間はストーブなしで過ごせるようになった。
暖かくなって気持ちまで緩んでしまったのか。今日はキャベツを切っていて自分の指まで切ってしまった。何事によらず目の前の一事に集中すること、一所懸命でありたいとは思いつつも、まだまだ雑念が多いね。
夏の日照不足にもかかわらず稲の生育は良さそうだ。まもなく刈り入れだろう。毎年のことながらこの風景を見ると自分の米でもないのに嬉しくなってくる。人と自然、すべてのものに感謝。
Olympus E300 + Zuiko Digital 35mm/f3.5 macro
梅の隣りではさくらんぼが赤くなりはじめた。熟す頃にはみんな鳥たちにさらわれてしまうな。
Olympus E300 + Zuiko Digital 35mm/f3.5 macro
梅の実がだいぶ大きくなってきた。スーパーにも梅酒用の梅が並ぶようになった。6月に入ったら梅干作りに挑戦してみようかと考え始めている。
Olympus E300 + Zuiko Digital 35mm/f3.5 macro
豚インフルエンザなどという聞いたこともないウイルスが発生したようだ。まだSF映画を見ているようで実感が湧かないがこれは現実なんだな。早く頭を切り替えて自分の身の回りのこととして備えを固めたほうがいいだろう。先ず食糧や生活必需品の備蓄、マスク、消毒薬。車のガソリンは満タンにしておこう。とにかく普段あたりまえにあると思っているものがないのだな。銀行ATMも使えないだろう。これは結構地震対策と似てるかも。
先週までの記録的な集中豪雨にもめげず稲は順調に育っているもよう。ただこれからは台風の季節。長期予報によれば今年は台風の当たり年とのことだったが果たしてどうだろう。台風に限らず雨も風も地震も雷もほどほどにしてもらいたいものだが。
ニコンもキヤノンもカメラの機能(メカ)に関しては申し分ない。これについては開発者に素直に敬意を表したいと思う。写真との関わり方を大きく変えてくれたし便利な時代になったものだ。ただ唯一の不満が色なのだな。
メカは数値で測ることができるので目標も立てやすいが色は感覚的な部分が多く単純な数値化だけでは通用しない。それよりむしろ長年にわたる人々の感動の蓄積といったもの(それは文化とよんでもいいかもしれない)が必要になってくるのだな。カメラメーカーの技術者にそこまで要求するのは酷かとも思うが。
久しぶりにすっきりと晴れてくれた。暑くもなく寒くもなく、風も柔らかく心地よい。こんな日は一年のうち何日あるだろう。やるべきことは山ほどあるのに一日中洗濯と掃除で終わってしまったようで、、、もったいない。いっそのこと自転車で遠出すればよかったか。
春分の日から二日間、台風のような風が吹き荒れた。風の強い日はホコリが舞って磁器の仕事はやりにくい。暴風が吹いてもホコリひとつ立たないような、そんな仕事場が欲しい。
棘だらけのタラノキからタラノメがほんの少し顔を出している。あと一週間もすれば食べごろか。ただその前に誰かに取られてしまうだろうな。
畑の土手では知らぬ間にふきの花が開いていた。そばには開く前のもいくつかあったが採るのはやめた。夏には土手一面に葉を茂らせてくれ。
♪春をながめる余裕もなく、、、♪ 泉谷しげるの「春夏秋冬」がYouTubeにあった。こちらhttp://jp.youtube.com/watch?v=ckhTGPx8QHE
函南町の火雷(からい)神社の境内に伸びていた大樹。近くに寄ると大きな山のような存在感があった。樹種は分からないが(おそらくタブノキ)樹齢は五百年くらい経っていそうだ。五百年前ならば室町時代か。こんな大樹のそばで毎日を過ごしてみたいものだが。
この神社の下には断層が走っていて、今も石段と鳥居が1メートルほどずれている。これは1930年に起きた直下型地震の跡らしいがこのときの断層のズレは最大で2.6メートルあったとか。そればかりかこの地域では50万年間で1kmのズレができているとのこと。まさに活断層地帯だ。
また低気圧が進んできて雪になりそうな予報。だが気温は先週より高く雨が雪に変わることはなさそうだ。この冬の寒さもそろそろピークを過ぎた、と思いたいが、甘いかな?
畑に残っている大根。葉を地面いっぱいに伸ばしている。何かに似ている、と思っていたが今になってようやくひらめいた。海の中のタコまたはヒトデ。
阪神大震災のあと高速道路の橋脚があちこちで補強された。ここは東名高速大井松田インター近く。補強工事の終わった新しいコンクリートの上には早速蔦が伸び、紅葉している。
一般にムラサキシキブと呼ばれているものは正確には園芸種のコムラサキであることが多いらしい。写真は忍野村の山中で撮ったものだがなんとこれもコムラサキ。
車がバッテリー上がりを起こしてしまった。今朝、秦野へ向かう途中コンビニに立ち寄ったらそこでエンジンがかからなくなったのだ。こんなことは何年ぶり、いや何十年ぶりのことだろう。日頃のメンテナンスをサボっていた、反省。車はガソリンだけでは走らない。電気も必要。ということは車って昔からハイブリッドだったってことか?
俳句をラップのリズムに乗せて歌う俳人というのが出てきたら面白いかも。ハイクラッパーとかね。
チャカチャッチャ チャッチャカチャカチャ チャカチャッチャ
コブシの実をはじめて見た。コブシと言えば春に咲く白い花のイメージしかなかったのでこれは予想外。今はまだ薄い膜に覆われているがこれからさらに熟していくと中から真っ赤な実が現れてくるとのこと。なるほど。春には白い花で虫たちを誘い、秋には赤い実で鳥たちを誘うということか。持ちつ持たれつ。うまくできている。何千何万という年月をこうして生き延びてきたんだな。
「夏過ぎてなお熱き血潮のマグノリア」
夏の高校野球というのはそろそろ止めたほうがいいのではなかろうか。炎天下の激しいスポーツは体に悪い。そのうち何か事故が起きそうな気がする。春の大会だけにするか、もしくは会場を北海道にするか。ただ北海道でも今日は37度とか。どこへ行ってもキビシイな。
あまりの蒸し暑さに耐えかねて夕方からプールへ。久しぶりに味わう水の感触は気持ちいい。1時間ほど歩いたり泳いだりしたら体中のコリが溶けてなくなったような気がした。これから週に一度は水泳の日かな。
午前中にまたもや雷と豪雨。大気の状態が安定しない。
「東海地震の想定震源域の陸側のプレート(板状の岩盤)地下0〜25キロで、地震活動がやや高い状態になっている」とのこと。(読売)
湿気のせいかもしれないがパソコンがおかしくなった。電源は入ってもWINDOWSが起動しない。初めてのことなのであせった。参考書を片手にセーフモードでようやく起動させOSを再インストール。ダメかと思ったけどデータは壊れてないようでたすかった。デジタル機器の危うさを痛感。
デジカメについて考えていたら、これって人間の目と脳のしくみによく似ていることに気がついた。光を感じるセンサー(CCD)は人間の目でいえば網膜。ここで受けた光は電気信号に変えられ、脳で画像として再構成される。我々がものを「見る」というのはこういうプロセスのことを言う(はずだ)。デジカメで脳に相当する部分はコンピューター(メーカーによって画像エンジンなどと呼ばれる)。
そういうわけでデジカメで撮る写真は人間の脳内映像に近いと言えるかもしれない。一方、従来のフィルムカメラで撮る写真はフィルムという物質上に残された光の痕跡。したがって物質的な存在感がある。優劣ではなく、どちらも面白い。
苔の世界も多種多様。入り込んでいけば迷路のような面白さがある。検索していたら苔玉、苔庭だけでなく、苔による屋根緑化というのもあった。温暖化対策としてかなり有効かも。写真は白樺湖近くのカラマツ林の中で見たスギゴケ(コスギゴケかも)。
道路の脇にこんな苔玉がいくつも転がっていた。大きさはこぶしくらい。おそらく残雪と共に運ばれてきたのではなかろうか。火曜日に日帰りで行ってきた八ヶ岳にて。今にして思えばひとつくらい持ち帰って育ててみたかったな。
麦踏みをしたのはいつのことだったろう。寒気の朝、霜柱を踏んでザクッザクッザクッ。土も草も霜で真っ白。朝日を浴びて吐く息までキラキラ輝いていた。思えば約半世紀前のこと。
このごろ自転車で走っているとところどころに忘れられたように生えている麦を目にする。人の手で植えられたものだとは思うが、手入れがあまり行き届いてないところをみると換金作物ではなく自家用なのだろう。いまどきは麦踏みなどは不要のはず。
昨年末以来、久しぶりの蕎麦打ち。今回は初めて50メッシュの粗目のフルイを使って粉を挽いてみた。できた粉は蕎麦ガラも多少入り込んで砂のようにさらさらしたもの。これでうまく打てるのか不安だったがなんとか麺になってくれた。いつもよりやや太めだが味は野性的。ちょうど玄米のような丸ごとの穀物を食べている充実感があった。
薪ストーブの中に入れようとした瞬間にふっと手が止まってしまった。懐かしい香り。なにかの香木かと思ったが樹皮を剥ぎ取ってみて判明。シナモン(ニッキ)だ。あちこちから寄せ集めてきた焚き木の中にこんな木が入っていたとは。検索で調べた結果、どうやら薮肉桂のようだ。