週末の嵐のあと気温がぐっと下がった。昨日から薪ストーブを焚いているがこの冬は薪の調達が難しそう。原因は台風が少なかったこと。倒木や枯れ木が少ないのだ。
若者の間で大麻が流行しているようで、なかには自宅の部屋の中でこっそり栽培している人もいるようだ。まあ、ご苦労さま。ところで大麻は違法だがたばこはどうなんだろう。専売制度はすでになくなっているので自家栽培は可能なのではなかろうか。
塩は専売制度がなくなってから各地で特色のある製品が作られるようになった。たばこも日本たばこの独占ではなく全国各地に個性豊かな「地域たばこ」があってもよさそうな気がする(たばこは吸わないので味のほうはワタクシわかりませんが)。ただ禁煙ブームの昨今なので商売としては成り立たないかも。ならば自家栽培、自家消費というのはどうだろう。キューバあたりから種を仕入れて育てればいい葉巻が出来るかも。たばこが一箱1000円にもなろうかという時代、愛煙家の最後の楽しみは自家製葉巻作りかもしれない。
12月に入ったというのにまだ蚊取り線香を焚いている。夜中に蚊の羽音で目を覚ますことが時々あるのだ。夏に多い黒と白の縞蚊ではなく薄茶色のすばしっこいワイルドタイプ。どういう生態なんだろう。
ところで先日、風邪をひいていたときにも蚊取り線香を何度か焚いた。気のせいかもしれないがそのあと気管支の咳が少しおさまったように感じた。もしかして蚊取り線香の殺虫成分が風邪のウイルスにも効いたのかも。まあシロートの浅はかな思いつきではあるけれど、もしこれが本当なら新型インフルエンザの対策として画期的大発見。ノーベル賞とまではいかないまでもWHOや線香メーカーから感謝状くらいはくるだろうな。
満月工房ホームページを公開してから7年が経った。今日から8年目。また新たな気持ちで取り組みたい、と言いたいところだが最近は少々停滞気味。景気と同じで人の気持ちにも波はある。
おもえば2001年9月11日に感じた恐ろしい予感、それは7年を経てますます現実味を帯びてきたように思う。経済の不況と蔓延する不信感。言葉が通用しない暴力の連鎖。先日の厚生省元幹部襲撃事件からは2.26事件を連想してしまった。
石の上にも三年といいますがいつのまにか7年経ってしまいました。7年経ってもたいした進歩はなく相変わらずキーボードは下手。続けることに意義がある、という理屈にもならない理屈をたよりに細々と続けております。ご訪問に感謝しつつ、お見苦しい点はひらにご容赦。これからもどうぞよろしくお願い致します。
自民党が考える一票の値段が1万2千円なのだろうか。金融危機のどさくさにまぎれてのゲンナマ作戦。発想がお粗末。2世、3世政治家の頭の中身が総理になることで次つぎにバレてしまう。
ただ忘れてならないのはこの「給付金」は3年後の消費税増税とセットになって出てきたということ。このお金を受け取ったらそれは消費税の増税を受け入れたということなのだ。カネをもらったら増税には反対できなくなる仕組み。人の弱みに付け込んでずるいことを考えるもんだ。曰く「将来の世代の負担を軽くするために増税が必要」とのこと。将来の世代の負担を軽くするために消費税は上げてはいけないと思うけどね。
給付金については「辞退」という方法があるらしいが辞退ではなくて「拒否」という選択肢があってもいい。
現在進行中の金融不安というのは信用収縮とも呼ばれているが要するに不信の増大。今はまだ金融の世界だけにとどまっているがいずれ社会全体に広がるだろう。信と不信のバランスが崩れたらどういうことになるか。前回は第二次世界大戦を経てようやく上向いた。今回はもしかしたら人類の存続がかかるほどの猛烈な破壊が待っているかもしれない。そのあとの再生を信じたいがいつになることやら。
信用というのは目には見えない。しかしその信用によって人間の社会は成り立っている。人類発祥以来、おそらく同類を信じるほうが疑うことよりほんの少しだけ(たぶん51対49くらい)多かったのだろう。それによって集団生活が可能となり、他の生物や自然災害の脅威からも逃れて現在の繁栄を見るに至った、と言えるのではなかろうか。ただ信と不信のバランスは常に波のように変動していてそれが今回は80年周期だったのかもしれない。
何年ぶりかで味わう本格的な風邪。フワフワと熱に浮かれる気分もたまにはいいもんだ。先週本屋へ行ったときにひどいくしゃみを連発している風邪男(かぜお)クンがいたのだな。これはちょっとヤバイと思ったけど探し物があったのでつい長居をしてしまった。おそらくそのときにもらったんだろう。君子(君子でなくても)危うきに近寄らず、がやっぱりいいみたい。
アメリカ発の金融混乱は洪水どころではなく大津波となって押し寄せてきそうだ。今は株の下落や銀行間での億、兆といったお金のやりとりなのでまだ実感としては分からないがこの影響はあと数ヶ月もすればはっきりしてくるだろう。これは1929年の大恐慌以来の経済危機だという人もおり、あらゆる事態を想定しておいたほうがよさそうだ。
大恐慌については歴史の教科書程度の知識しかないが1929年10月24日、ニューヨークでの株価暴落から始まっている。その波は日本にも押し寄せて昭和恐慌を引き起こし、5.15事件、2.26事件から日中戦争、太平洋戦争まで長く暗い影をおとした。今回はどうなんだろう。考えようによっては80年ぶりの歴史的な瞬間を目撃している、ということでもある。これはしっかりと見届けていきたい。
それにしても経済については知らないことが多い、もっと勉強しておくんだったな。(今からでも遅くないか?)
今日は寒露。写真は見事な瓜をもらったので。
ようやく晴れてくれた。久しぶりに味わう透明な秋の陽射し。待ちに待った季節。ただ家の中が明るくなると積みあがったゴミの山がイヤでも目につく。思い立って片付けにかかるが、ウーム、かなり手ごわい。半日かかって千分の1も進まなかった。明日も晴れてくれるだろうか。もし週末まで晴れてくれたら千分の2くらいは片付くかも。
経営が破綻したリーマンブラザーズの経営者は昨年度36億円の報酬をもらっていたとか。これを見ただけでも破綻は当然だろうと思う。その場限りの利益追求であとは野となれ山となれ。経営者が会社の事業をサスティナブル(永続可能)なものとは考えていない証拠。これはほとんど計画倒産といってもいいのではなかろうか。しかしそうはいってもその影響は広がりそうだ。この一社だけではないところがさらに不気味。めぐりめぐって「洪水は我がふところにおよび」なんてことになるかも。まあ、たいしたふところはないのでワタシは安心だけどふところの大きい人にとっては不安な季節になるだろうな。
雨や雷の不穏な天気が続いた後、今日は猛暑が戻ってきた。天気図の解説どおりに北の冷たい空気と南からの熱い空気が入れ替わったことがよく分かる。あと数週間はこの状態が続きそうだ。
昼過ぎに電話のベル。プルルル、、、
「はい、丸田です。」
「あー、こちら品川警察です。私、刑事課の田中みのるですが、丸田秀三さん、本人ですか?」
「あ、はい。」(な、何ごと?ドキッ!)
「OO銀行とXX銀行に口座を持ってますね?」
「はい。」
「実は詐欺グループを摘発したんですが、彼らの持ち物の中からあなた名義の預金通帳が2冊出てきたんですよ。それぞれ1000万ほどの残金があるんですが、これについて心当たりがありますか?」
「いや、ありません。」(そんなおカネ、あるわけないだろ。でもあったらうれしいけど)
「一応盗難にあってないか確かめてくれませんか?」
「はい。」といって引出しをガチャガチャ探したら二つとも出てきた。
「通帳もカードもあります。」
「そうですか。やはり彼らが偽造したもののようですね。振り込め詐欺の入金口座に使われていたようですね。個人情報を盗んで簡単に作られてしまうんですよ。最近公共料金の領収書などがポストから盗まれたようなことはありませんか?」
「さあ、ちょっとわかりませんが。」
「そうですか。それでは一応この二つの口座については銀行協会を通じて凍結処理をしてもらいます。千代田区丸の内1−3−1全国銀行協会 電話は0505-532-7053です。私のほうからFAXを流しておきます。」
「よろしくお願いします。」
5分ほどしてまた電話。プルルル、、、
今度は女性の声
「こちらは全国銀行協会です。わたくし近藤と申します。さきほど品川警察からFAXが送られてきまして、お客様名義の銀行口座の凍結を依頼されました。つきましてはお客様のこの2行以外の銀行口座についても数日の間利用を停止していただいて調査したいと思います。」
「????」
「これ以上被害が出ないようにするためにどうかご協力ください。このほかに現在お取引のある金融機関は、、、」
「あの、すいませんが、全国銀行協会の近藤さんでしたね。」
「はい。」
「東京なのに電話番号が0505で始まるのはどうしてですか?」
「こちらはインターネット回線を利用してますのでこの番号です。」
「わかりました。こちらから折り返しかけなおします。」
インターネットで調べたら全国銀行協会は確かにあった。住所も同じ。ただ電話番号は違っていた。電話したら今日は土曜日でお休み。やはりそういうことか。
品川警察署にも電話してみた。
「こちらの刑事課に田中みのるというものはおりません。」とのこと。
「最近この手のオレオレが増えてるんですよ。」だって。
今日は今年一番の暑さ。午後4時でも気温がまだ35度あった。小田原では観測史上最も高い36度以上に達したとか。温暖化の原因が二酸化炭素だけだとは思えないがそれはともかく夏の気温が年々上がっているのは確か。生活を根本から考え直す時期に来ている。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の作品に「停車場にて」という短編がある(残念ながら青空文庫には入ってなかった)。列車で護送されてきた殺人犯が熊本の駅で被害者の遺族である妻子と対面する場面。群集が見守る中でそのとき何が起きたか。
父親を殺された幼子の目。残された者の悲しみ。犯人を悔悟に導いたのは母親に背負われた子供の目だった。
弱い者ほど強がりを言い、臆病な者ほどときに狂暴になる。愚かでひ弱な人間がくり返す過ちと悔恨。当事者だけでなく、実は我々すべてがそんなどうしようもなく悲しい生き物なのだ。
加害者と遺族がともに救われる道があるとするならば、この人間という生き物が持つどうしようもない悲しみへの共感以外にはないのではなかろうか。
光市事件の裁判は終わったがこのままでは双方ともに哀れだ。本村さんの悲しみは犯人を死刑にすることで本当に癒されるだろうか。怒りの連鎖はどこかで誰かが断ち切らねばならない。まだ間に合う。彼には怒りではなく自分の悲しみを素直に犯人に伝えてもらいたい。
影がだいぶ短くなってきた。あと一週間ほどで春分の日。ついこの間まで薪ストーブ用の薪割りをしていたというのに今日のこの暖かさはなんだろう。午前十一時、路面からの照り返しがまぶしい。
天気がいい日は昼間は暖かくストーブもいらない。今日は冬着のまま土を練っていたら汗がびっしょりと出た。しかし日が暮れてから外に出てみると風が結構冷たい。明日は雪がパラつくかもしれないとのこと。まだまだ油断できない。
節分の初雪の後は立春。暦どおりに晴れて暖かい日となった。切ったばかりの生木を乾燥のためストーブの上にのせていたらシューシューという音と共に蒸気が吹き出してきた。名前は分からないがこういう樹種は火力が弱い。
2月からコメント欄を復活させました。またよろしくお願いします。これがないとブログを続ける張り合いがありませんしブログの意味もありませんから。ただスパムの書き込みには十分ご注意ください。特に英文あるいはスペイン語?の書き込みには単語ひとつひとつにリンクが埋め込まれていることがあります。解読しようとして単語をクリックしたとたんに別のサイトへ誘導されるおそれがあります。
朝起きてみればこの冬初めての銀世界。空気が湿っぽく冷たい。
節分から立春にかけてのこの時期は入学試験の季節でもある。思い起こせば今からン十年前、大学受験のためにこんな雪の中を歩いた憶えがある。聖蹟桜ヶ丘の叔父の家に泊めてもらい、そこから電車やバスを乗り継いで三鷹のICU(国際基督教大学)へ行ったのだな(私、キリスト教徒ではありませんが)。正門前の銀杏並木が真っ白く雪に覆われていた。
肝心の試験はというとニーチェの「悲劇の誕生」が出てきた。本の中の1章にも及びそうなほどの文章を読んで、そのあといくつかの設問に答えるというもの。キリスト教系の大学だったのでキルケゴールは予想していたがニーチェが出てくるとは思わなかった。試験の最中は図書館で読書しているような気分になり設問に答えるどころではなかったな。ここが第1志望だったんだけど結果はもちろん惨敗。2月はじめの雪の朝はこんなことも思い起こさせる。
タバコは吸わないので見過ごしてきたのだが、自動販売機に並んでいる銘柄を見たら海外ブランドがほとんど。KENTとかLARK、CAMELなど。値段も結構高く、平均して400円前後。これでどのくらい売れてるのだろうか。
値段は300円前後でしたね。訂正します。2/15
豆単ではなくて豆炭。どちらも昭和の時代を思い出させるが、平成の世が20年も過ぎた今ごろ、ホームセンターで豆炭を見つけた。昔はこれをアンカに入れてたような覚えがあるが、、、いまだに作っていたんだな。暖房用というよりは粘土の凍結防止用に使えそうだったので買ってきた。薪ストーブの中にこれを何個か入れておけば朝までじんわりと燃えてくれるだろうと思ったのだ。
遅ればせながら新年おめでとうございます。何かと多難な年となりそうな予感はありますが地道に毎日を過ごしていければいずれ春は来るかとも思います。今年もどうぞよろしくお願い致します。
ホームページを開設したのが2001年11月19日。早いものでもう6年が経った。9・11以後の世の中の変化を自分の目をとおして記録していこうという壮大(?)な思いはあったが、どこまで果たせているやら。まあ、10年くらい続ければ少しは見えてくるかもしれない。
長らく90円台で推移していたガソリンの値段が今や151円。実に5割以上の値上げ。灯油は600円台だったものが1400円を超えた(18リットル)。こちらは2倍以上。生活の根幹にかかわる物資だけにこれらの値上げはこたえる。
国内ではこんな状況なのにインド洋では他国の艦船に無料でガソリンを入れてあげてたんだな。産油国でもないのにねえ、ワカラン。アメリカの石油会社から石油を買ってアメリカの艦船にタダで入れてあげる。これを国際貢献だと言われてもねえ、ワカラン。そんなに余裕があるならまず国内のガソリン税を無料にしてほしいな。たまには国内貢献も考えてほしいところ。世論調査によればこの無料給油活動の継続を支持している人が4割以上もいるとか。ますますワカランです。
午後のテレビはどの局もお通夜みたいな番組になっていたのでドキッとした。でもただの辞任だとわかってホッ。以前からもっと最悪なケースを考えていたのだ。おそらくこれで政治の世界には彼の居場所はなくなるだろう。地元に帰って土遊び(焼き物)とか土仕事(田畑)をはじめられてはいかが?
写真は参議院議員選挙まえのテレビコマーシャル。
9/13追記
ブッシュ、コイズミ、アベ、、、。おごれる者久しからず。これが愚かな時代の終わりの始まり、と思いたいが。
「ならずものブッシュコイズミゆるすまじ」 トーシロー
今日の午後の陽射しには透明感があり影もだいぶ伸びていた。まだまだ暑いがその中でもわずかながら秋の気配を感じたしだい。
日が落ちたあとは熱気が行き所なく停滞しているようで日中よりかえって蒸し暑い。湿気のせいで大山のシルエットもイマイチ。
猛暑の夏もようやく息がきれてきたのかな。こちらは久しぶりに休日をもらったような気分でありがたい。
ところで今朝4時ころの房総沖地震。また目が覚めてしまった。今度は揺れの5分ほど前。これはちょっと使えるかも、、、と本気で思ってしまった。ナマズ並みの地震予知はヒトでもできるのか?ただ今のところ夜中しか通用しないのが難点。
日本の夏は確実に暑くなっている。小学生のころ夏休みの宿題で書いていた日記には33度という気温すらめったになかったと思う(九州でのこと)。それがいまや35度以上はあたりまえ、地域によっては40度に達することもある。これでは従来型の生活スタイルは維持できない。少なくとも夏の三ヶ月間は熱帯型の生活を取り入れるべきではなかろうか。特に炎天下での行事は極力控えたほうがいいと思う。
今日は参議院選挙。投票に行こうと思った矢先にポツポツ降りだし、投票所に着いたところでパラパラ。投票を終えた時にはどしゃ降りだった。帰りに寄ったスーパーの駐車場はすでに湖の状態で車から出られず。
選挙の結果は自民党の大敗。これは当然。これで安倍内閣は退陣かな。ただ揺り戻しはいずれやってくるだろう。次の衆議院選挙が今から気になる。
朝、お茶を飲んでいたらユーラユラきた。はじめは目まいでもおきたのかと思ったが電灯が大きく揺れていて地震だとわかった。台風の後に地震。被災地では明日も雨とか。散々な連休になった。
10:13 新潟県中越沖地震 マグニチュード6.8
台風4号は予想進路を外れることなく順調?に進行中。現在は四国の南岸。関東へは明日の午後か。
雨音に混じってスズメの鳴き声が聞こえる。こんな日には野鳥たちはどうやって過ごしているのだろうか。
早朝の地震で目が覚めた。正確にいうと地震の数分前に目が覚めた。時計を見たら5時過ぎ。ずいぶん早いなあと思ってボンヤリしてたらグラッときた。これはもしかして体が地震を予知したということ?以前にもこういうことがあった。揺れてから目が覚めるのではなくて揺れる前に目が覚める。この感覚を鍛えることが出来ればウナギに頼らなくても地震予知ができるかも。
震源は神奈川西部、マグニチュード4.2。
訂正。ウナギではなくてナマズでしたね。土用の丑が近いのでつい。
生まれた時から親の期待を背負い、それに答えようと真面目にやってきたんだろうなあ。でも気がついたときには(本人は気がついてないかもしれないけど)伸びきったゴムみたいになってたんだな。柔軟性がなく何に対しても反応が鈍い。運良く総理大臣にまでなっちゃったけど、いつプッツンするかと心配になるくらいだ。アベクンはなんとボクと同い年なのだな。いろんな人生があるもんだ。
訂正 経歴を見たらアベクンは1954年生まれでした。ということはボクより二つ年下でしたね。(7/31)
仕事場の隣りに建っていた古い小屋が取り壊されて更地になった。特別の感慨などはないが今まで目にしていたものが消えてしまったことについては多少のとまどいもある。形ある物は常ならず。それはわかる。ただ常ならぬものに価値がないかといえばそんなことは決してなくて、常ならぬものの中にこそ記憶も愛着もいっぱい詰まっているのだな。
常ならぬものへの讃歌と常なるものへの渇仰。芸術表現にはこの二つのベクトルがある。どちらか片方ではなくできれば両方のベクトルを内包した表現、それが理想だ。
色即是空 空即是色
気温35度以上を記録した日を猛暑日と呼ぶことになったらしい。毎年40度を越す日も何日かあるのでそのうちこちらにも何か名前がつけられることだろう。使われる文字はもはや暑ではなく熱。炎熱日とか灼熱日とか熱波警報とか。従来型の暑さ対策ではもう対処できない。「熱さ」対策が必要になるだろうな。
急ぎの仕事が入ったため一週間ほど嵐のような日々が続いていた。一段落ついて明け方寝入ったらそのまま夜まで眠ってしまった。朝のような夜。頭も体もぼんやり。外は冷たい雨。
ポストを覗いたら音楽出版社から「高田渡読本」が送られてきていた。今日は高田渡さんの命日。この本には光栄なことに写真で参加させてもらったのだ。詳しくはまた明日。
昼間は暖かいのに夜になると結構冷えるので今夜も薪ストーブで暖をとる。ちょうど藤原新也の「黄泉の犬」を読んでいるところだったのでストーブの中の熾きを撮った。麻原彰晃と水俣病をつなぐ推理は戦後史の闇の連鎖か。
猛烈な低気圧も過ぎ、朝から冬晴れ。薪ストーブの調子が落ちていたので2ヶ月ぶりに煙突そうじをした。毎度のことながら全身真っ黒け。なんとかならないかなあ、この作業。「煙突そうじロボット」なんか誰か考えてくれないかな。
先週末から東奔西走。おまけに京都からの来客もあり温泉に宴会、そしてライブ。やるべきことは山ほどあるのに一日があっという間に過ぎていく。
仕事場で薪ストーブを焚きはじめた。揺れ動く炎を見ているとつい引き込まれてしまって、またまた時間の感覚がなくなってしまう。
新聞を取らなくなって10年以上経つ。きっかけがなんだったのかよく覚えていないがいろいろと不満があったことは確か。まず新聞用語だらけの日本語がつまらないこと、それから記事に署名がないこと。誰が書いたものか分からない文章など読む価値があるだろうか。
「天声人語」、あらためて見るとすごいタイトル。「天の声を人が語る」もしくは「人(庶民)の言葉こそ天の声」。どちらにしてもこのコラムの筆者は自分を偽っている。彼は天の代弁者ではないし、かといって庶民でもない。こうした傲慢さも新聞が嫌いな理由の一つ。
もしかしたらこれは一種の宗教といえるかもしれない。お布施(購読料)を払った家には毎朝「天の声」が届くわけだ。
新聞を読まなくなって何か不都合なことがあったかといえば、まったくない(と自分では思っている)。新聞は今や焼き物の梱包材くらいにしか思えなくなっている。
最終日になってようやく申告書提出。去年一年間の活動を数字にしてみてあらためて愕然。これでよく生き延びてこられたものだ。今年はどうなるかな。少なくとも昨年が最低最悪だった、と言えるようにはしたい。
今夜は満月。快晴の夜空に見事な月が出ていたが例によって手持ちのカメラでは点にしか写すことができず断念。
灯油の値段が高い。今日買いに行ったら一缶(18L)1404円だった。一年前のおよそ2倍。これは立派な石油危機ではないか。エアコンや床暖房完備の最新住宅ならいざしらず、家庭エネルギーの大半を灯油に頼っている家庭は多い(ウチも)。この冬の石油の高騰による日本全体の(全家庭の)損害はどのくらいになるのだろう。おそらくライブドア株どころの額ではないはず。
ファンヒーターが壊れたので一週間ほど前から古い灯油ストーブを使っている。上でお湯が沸かせるし料理もできる。おまけに静か。点火時と消火時は多少不便だが慣れればこちらの方が快適かも。
予報どおり深夜から降り出した雪が明け方には10センチほど積もっていた。雪の朝は部屋の中にいても普段とはずいぶん違う。まず光。雪からの反射が窓から入り、天井が明るい。そして静か。さらには匂いも違う。冷たく湿った雪の匂い。結局今日は一日中雪がパラパラと降り続いた。こんな雪国のような降り方は今までにあったかな?
新しい年を迎えることができました。おめでとうございます。
先月ころよりホームページの改変の必要を感じているのですが方向が定まらないまま年を越してしまいました。、ブログのほうも途切れがちになっていますが、これはデジカメ、あるいはデジタル写真に対する漠然とした不満というものもあるようです。とにかく課題は山積み。いったいどこから手をつけたらよいのか分かりませんが、とりあえずはカメラ的なところから早急に解決していきたいと思っています。
引き続き今年もどうぞよろしくお願い致します。
EMを使い始めてから半年ほど経つ。EMというのはEffective Microorganisms(有用微生物群)の略。まず「ぼかし」として生ごみのたい肥化。それから洗濯、あるいは消臭剤、入浴剤などとして日常のいろんな場面で活躍中。ふだんは米のとぎ汁に原液を少量加えて培養したものを使うのでひと瓶がなかなか減らない。
最近ではこのEMを粘土を練る時にも入れるようにしている。効果のほどはまだ未知数だが、たとえば焼成後は遠赤外線が増えるとか水のクラスターを小さくするとか、そういうことが考えられる。それはつまり飲み物や料理がまろやかにおいしくなる、ということでもある。すでにEMセラミックとして製品化されているものもあるので、あながち的外れではなさそうな気がしている。
それからもう一つの理由は土練機の中の鉄やアルミの錆びを防いでくれるのではないかということ。EMは抗酸化力が強いのでコンクリートに混ぜれば中の鉄筋の錆びをおさえてくれるという。それならば土練機の中の錆びもなんとかなるかも、、、と期待しているわけだ。うまくいけば高価なステンレス製の機械など買わなくてすむ。
これからまだまだ応用範囲が広がりそうなEM。関連するホームページはたくさんありますが、とりあえずはここかここがおすすめ。
スンネット(割礼)のお祝いの晴れ着を着た幼い兄弟。ちょっと緊張気味?
トルコは厳格なイスラム国ではないのでだいぶ簡略化されているとのことだが、日曜日のモスク周辺では晴れ着姿の子供とその親族らしき一群によく出会う。町中にはスンネット専門の衣装屋(貸衣装か?)もあった。子供の年齢は特に決められてはいないようで10歳過ぎくらいまでに終えればいいらしい。七五三や端午の節句もルーツはこの辺にあるのかもしれない。ブルーモスク内にて。
厚木市と伊勢原市の間の国道246号線。夕焼けの空にシルエットで浮かぶ丹沢の山を右手に見ながら走っていると、巨大な送電線が道路をまたいで山のほうへと伸びている。山の中に何か巨大な工場でもできたのかと思ったが、しばらくして気がついた。どうやらこれは逆だ。つまり山の中から電気が送られてきている。10年程前に完成した宮ケ瀬ダム。そこの水力発電所から伸びている送電線に違いない。
気温が低く外は雨。家の中も寒い。結局今日は一歩も外へ出ず、薪ストーブを焚きながら一日中粘土練りで過ごした。それにしても明日のサッカーが気になる。ワクワク。ハラハラ。ドキドキ。大丈夫かなぁ。ファイアー!
標高千メートルほどの富士山南麓。日が暮れてから急に気温が下がってきた。しかし空気が澄んでいるので爽快。
御殿場から上ってくる途中で防音工事の看板をいくつも見かけた。はじめは何のことか分からなかったが途中で気がついた。自衛隊の演習場があるのだ。重火器の爆音の中で暮らすにはそれなりの対策が必要なのだろう。
薪ストーブの煙突を掃除し、この冬初めて火を焚いた。3月以来ほぼ9ヶ月ぶり。ようやく冬が来た。
松や杉は火付きはいいがすぐに燃え尽きてしまう。しかし雑木は火力が強く、熾きになってからもさらに永くエネルギーを発散する。今年は暖かかったので薪集めを忘れていた。天気のいい日にまた山へ行って集めてこなくては。
とうてい受け入れがたい現実というものがある。早朝の電話。いとこの次女の訃報。去年の9月、築地の展覧会で会ったのが最後となった。合掌。
今日は満月。「月の魔力」という本もあった。車の運転には注意。
最近携帯が静かだなあと思っていたら、壊れていた。一週間以上前から通じていなかったようだ。それだけ使ってないということ。まあ必要ないともいえるのだが、たまにメールが来たりするし出かける時は便利なので近くのショップへ持っていった。すると修理するより機種変更のほうが早いとのこと。
この機種は以前からよく見かけていたがなんとなく時代錯誤的なデザインに思えてまったく興味はもてなかった。しかし実際に手にとってみるとボタンが大きくていい。で、それが気に入ってこれに決定。できればこのままパタンと折りたためればさらに良いのだが。ちなみに機種変更料は0円。液晶もカメラも前時代的。でもめったに使わないのでこれで十分。
最高気温が40度だなんて、いったいどこの国の話かと思う。年々気温が上昇しているのは明らかだ。笑っている場合ではない。エアコンのおかげで今のところ犠牲者は少ないが、エアコンが普及していないフランスでは昨年夏の熱波による死者が15000人。何らかの事情でもし停電なんてことになればいったいどうなることか。そろそろ熱帯型のライフスタイルを真剣に考えるべきだろう。
そこで提案。
1.7月、8月の二ヶ月間を全部国民の休日とする。
2.夏の野外スポーツを廃止。(もちろん高校野球も廃止)
冗談と思われるかもしれないが、このくらいのことはすぐに現実になるかも。
今朝9時、ようやく窯詰め終了。水浴びしてからビール。今日も暑くなりそうだ。
昨日は窯を焚いているわけでもないのに36℃。こんな気温は初めて。厳しい暑さなどという表現ではものたりない。これは非常事態だ。これからは夏の過ごし方を本気で考えないといけないだろう。
久しぶりに本格的な風邪をひいたと思ったらなんと一日でほぼ回復してしまった。いったい何が良かったのか。
1.だるい体をおして窯出しをして、サウナのような汗を出したこと。
2.湯たんぽで足もとを暖めて寝たこと。
3.ビタミンC(錠剤)、ういろう(丸薬)それに梅干をいっぱい食べたこと。
4.送ってもらった熊本のとんこつラーメン(生ラーメン)ににんにくをたっぷり入れて食べたこと。
これからは風邪をひいたらこの四つを思い出すことにしよう。
今朝の空は青空も広がり、いい一日となりそうな予感。
モノにも意思や感情があるのだろうか。実は少し前から洗濯機の具合が悪く、ギクシャクしてまともには動かなくなっていたのだ。これから暖かくなって洗濯の回数も増えるので、この際買い替えを考え昨夜からネットを検索していた。そしたらどうしたことか今日になってその洗濯機が何の問題もなく完璧に動くのだ。洗濯機でさえ捨てられると感じて必死にがんばったのかな。
ライアル・ワトソンの本に「シークレット・ライフ」というのがあった。動物や植物だけでなく石や機械にさえも意思があると。洗濯機にもそして当然焼き物にもね。
家の近くにわずかに残っている雑木林へ薪を集めにいったら林の上の畑が見事に耕されていた。これから春に向けて何が蒔かれるのだろうか。雑木林の中は下草が刈られ、おまけに見晴らしもいいのでピクニックには最適。若葉が芽吹く頃には新緑のもとでの宴会というのもいいかもしれない。
南の風が強く吹き気温も異常に高かったのでおかしいと思っていたら案の定夜に入って雨。買い物に出かけたら途中でどんどん激しく降ってきた。雨の夜の運転は視界が悪くなるので気を使う。できれば外出は避けたいところ。今夜は本屋にも寄り道せず、すぐに帰ってきた。
粘土の粒子は細かくて、掃除するときにまきあげるとマスクをしてもかなり吸い込んでしまう。掃除機も使うがこれもすぐに詰まってしまってメンテナンスが結構面倒。それでこのごろはお茶がらで掃くことにしている。これだとあまりほこりが立たない。まあ、昔の人の知恵というべきか。ただし緑茶の消費量は当然倍以上に増えた。
Hさんのお宅は古いかやぶきの家。数年前に改築して内装はフローリング床になっている。暖房は北欧製の薪ストーブ。屋根に穴が開けられないので煙突の取り回しには苦労したらしい。窓の外には一冬ぶんの薪が積まれている。樹種はアカシアだとか。固そうな木なので薪割りは重労働だと思う。これが山の暮らしなんだな。
帰りに買ってきた蜂蜜をよく見たらアカシアの蜂蜜だった。中国産ではなく、れっきとした信州産。蜂蜜を採るためにアカシアの木が植えられているところがあるのだろうか。
松本市郊外の山里の朝、わずかに雪が残っているけれども気温は高い。このくらいの気候なら山暮らしにも耐えられると思う。
しかし田舎暮らしのハードルは寒さだけではないようで、話を聞けば地元のコミュニティーとの関係は結構大変そう。共同体意識というのは社会的な安全保障、あるいは生活保障として今なお機能している部分があるわけでその価値は大いに認めたい。ただ人と土地との結びつきが希薄になっている現代では、そのありかたも変わらざるをえないのではないだろうか。
それにしても目の前に横たわる見事な半球状の山。自然の不思議。もしこのような風景への愛着が共同体の基礎として意識されているならば、もしかしたら積極的に地域に関わっていけるかもしれない。つまり生産共同体や生活共同体としてではなく、今後は風景共同体、あるいは環境共同体という考え方もありうるのではないかと思う。