今回のテーマは植物。なかでも苔。森の片すみでひっそりと息づいている苔をいっきに主役に引き立てるべく、苔観賞用の器を作ってみたのだ。これは面白いし楽しいね。陶芸の新ジャンルでもある。
磁器土で厚みのあるものを作るのは難しいがゆっくり乾かしていけば何とかなる。発泡スチロールの箱に入れて半年以上かけて乾かす。焦るとすぐにぱっくりとヒビが入る。大きなものは一年。カビが全面に生えるけどこれも乾燥には役立っているのではないかと思う。鰹節の製法と同じ。
ほどよく乾いたところで削りだし。
震災以降、白い磁器土に気持ちが向かなくなっている。自然の大きな力の前に人の営みのなんとひ弱なことか。原発事故に見られるとおり人間の欲望のなんと愚かなことか。
人が人工的に作り出すものではなく、土の中から生まれ出てくるものをすくい取る。そんな焼き物は可能だろうか。というよりそんな焼き物を自分が許せるだろうか。
古墳時代の装飾古墳には赤い顔料でシンボル図形が鮮やかに描かれている。この赤はおそらく血を表わしているのだろう。死者の永遠の生を願う気持ち。しかし神道になるとイメージカラーが白になる。この白は何か具体的なものを表現しているとは思えない。抽象的であいまいな何か。あるいは実体がなく形容詞だけでしか例えようのないもの。気配とか空気とか。
この赤から白への変化の裏にはどんな背景があったのだろう。民族が入れ替わるほどの激動か、あるいは母性社会から父性社会への転換か。
人類が最初に見た白はおそらく雲だったろう、それから白い花、そして雪、氷。どれもはかなく移ろいやすい。あとは見渡す限りの褐色の土と岩、木々の緑、空の青。
現在、身の回りには白いものがあふれている。白い紙、白い服、白いプラスチック、白いペンキ、白い食器などなど。しかしこれらはすべて人工物。自然界には白は意外と少ない。
白い色には純粋、清浄というイメージがついてまわるけれどもこれはいつ頃からのことだろう。さらには純粋、清浄なものを尊いとする意識はいつ頃から生まれたのだろうか。
昨日から6キロワットの小型電気窯が使えるようになった。単相200ボルトの全自動焼成装置付き。温度のコントロールをあらかじめプログラムし、あとはスイッチを押すだけ。昨夜から素焼きをやってみたが正確に動いてくれた。こんな便利なものがあったんだな。これを使ったらもう以前には戻れない。プログラムの方法が難しいがこれは主にインターフェイスの問題。もしシステムの設計者と陶芸家が共同で開発したらさらに使いやすいものが出来ると思う。いずれにせよ電気による陶芸窯にはこれが標準で付くようになることは間違いない。
これほど気持ちのいい個展は久しぶり、というかほとんど初めてだったかもしれない。すべて新作だったこと。十分な準備期間があったこと。迷いながらも長い休養がとれたことは決して無駄ではなかったようだ。今後の展開はさらに面白いことになりそうな気がしている。
ご来場いただいた皆様、どうもありがとうございました。
径40センチ、底が丸くなっている”ユラリット”の中に浮かべられた二輪のバラ(原種だそうです)。ギャラリーの原田さんの見事な演出により初日の会場は静かで華やかな空間となっていた。オマタタツロウ、淳子夫妻の演奏も同様にお見事。こうした人たちの才能に助けられて白磁の磁力?がさらに高まったように思えた。
ようやく搬入までこぎつけた。今回はすべて磁器の焼き締めによる新作展。何年も前から求めていた色と質感がようやく実現できるようになり、これが初めての発表なのだ。暴れる土には悩まされたが完成度は高いと思う。
帰りには箱根の温泉。雨のため川の流れが激しい。
徹夜続きの怒涛のような日々が過ぎ、ようやくひと息。想定外のトラブル続出のため幾度となく計画変更。意識朦朧とした中での判断なのでこれで良かったのかどうか。まあ初日を迎えれば分かることだろう。個展はいつも冒険綱渡りの連続。何があっても七転び八起きの心境で乗り切りたいが、しっかし疲れるなあ。
宇宙空間でブーメランを投げたら地上と同じように元に戻ってきたという。ならば宇宙空間でロクロを挽いたらどういうことになるだろうか。
ロクロは回転力を利用し、重力に逆らって土を上に持ち上げていく。しかし土は柔らかいので常に下へ下へと落ちていく。つまり地上ではある一定限度を越えて柔らかい土を上に伸ばすことはできない。これがもし無重力の宇宙空間ならば土の粘性限界まで限りなく上に伸ばすことができるはずだ(上下の区別もつかないけど)。数メートル以上の壷とか、あるいはどこまでも水平に広がる大皿なども可能になるはずだ。
地上では重力に素直に従った形は安定感があるということで美学にもなっているが宇宙空間では人間の美学も変わっていくことだろう。
削り終えて持ち上げたとたんに崩れてしまった。45センチの磁器の鉢で2ミリ以下は無理か。ガックリ。ただ薄さの限界にトライしての結果なのであきらめもつく。これからも限界主義でいこう。
焼き物はエネルギー大量消費産業なのでエネルギー資源の動向は常に気になる。70年代のオイルショック時には石油関連製品のほか、どういうわけかトイレットペーパーまでもが値上りして品切れとなった。現在は実質的に第二次オイルショックといっていいだろう。何しろガソリンが5割高、灯油は2倍以上になっているのだから。今回は資源ナショナリズムと新興国の経済成長が加わり、単なる投機的な暴騰から慢性的な供給不足となる可能性がある。これはもはやショックなどではなく危機と呼ぶべきかもしれない。エネルギー危機。
日本は石油と天然ガスは100%輸入に頼っている。しかも資源には限りがある。このままでは日本の将来は絶望的だ(日本だけではないけど)。
国内でまかなえるエネルギー源としては水力、風力、地熱、太陽光などによる発電と薪炭くらいか。このうち水力の利用はほぼ限界、風力や地熱利用は設置場所や気候に左右される。薪炭は熱源にしか使えない。というわけで今後最も有望なのは太陽光発電ではなかろうか。無尽蔵に降り注ぐ太陽光を電気エネルギーに変える。すでに実用化されてはいるが更なる革命的な技術革新が欲しい。日本のどこかにいないかなあ、お茶の水博士。
求めていた白磁の色と質感がようやく現実のものになってきた。さらにテストを繰り返してもう少しデータを集めたい。山の小さな灯油窯が結構役に立っている。
コメント欄に外国からの悪質な書き込みが連続しています。安全のためしばらくコメント欄を閉じます。12/12
数学(幾何)用語で使う「点」には長さも幅も厚みもないと教わった覚えがある。抽象的な点でありながら実在する点。この作品はそんな点でテーブルの上に乗っている。すべての重みをその一点で支えているわけだ。しかもその点はゆらゆらと動く。不安定のようでいて意外と安定している。
見方を変えれば土、大地、地球あるいはそれらの言葉のもつ象徴的なものと極小の一点で接している、とも言える。この精神の状態を何と表現すればいいのだろうか。展覧会は自分の姿を振り返る好機でもある。
会場の写真も一枚。手前は新里明士さん(土岐市)の蛍手の白磁。白黒の二点は拙作。奥は武吉廣和さん(高知)の壷。
頭に浮かんだイメージが形になって現れてくる。ということは現れたものを見ればその人の見ている現実、生きている世界が見えてくる、ということでもある。グループ展には異文化交流の面白さがある。
ここには以前第1学生会館が建っていた。各種サークルの部室が集中していて思い出深い場所。現在は小野梓記念館となり一階にはなんとギャラリーができている。変われば変わるものだ。時は移り、めぐりめぐってまたここへ帰ってくるとは。
早陶会展 11/16(金)〜11/22(木)まで
灯油窯は丹沢にある彫刻家S君のアトリエに置かせてもらっている。すぐ前に川が流れていてその川に沿って山の冷気が下りてくるようだ。夜になると急に冷える。
2日続けて山に置いてある灯油窯を焚いてきた。小型なので少量のものを焼くときやちょっとしたテストをするのにけっこう重宝している。やり方によってはこれだけでもなんとかやっていけるかもしれない。電気窯と違って火が見えるのがいいし、燃料費も安くて済む。
台風の後、一雨ごとに涼しくなってきた。光の色、風のにおい。待ちに待った季節。
暑いうちはビールしか飲めなかったがここへきてようやく食欲も出てきた。この秋初めての酒は「奥の松」。ぐいのみはつや消しの白磁碗。透明度が高く、光にかざすと指が透けて見える。
「小盃に天地の恵み満ち満ちて」
朝から抜けるような青空。気温も高く空気も乾いている。おかげで乾燥中の磁器物にまたヒビが入ってしまった。今回は内側の側面。昨年来の頼まれものでこれでもう6作目か。乾燥段階ですべてヒビ割れ。今日は人の出入りがあり、つい油断してしまった。こういう日は布で覆った上からさらにビニールで包んでおいた方がよかった。
20日以上かけて紐作りで仕上げてきたものがこれでボツ。まあこれが焼き物、と達観してみたいところだが実は全身の力が抜けていくのが分かる。
磁器土は白くてきめが細かいので一見やさしそうに思える。しかし実際には気難しく神経質でしかも頑固だ。
平塚市内の宝善院。歩道に面した塀の中に鬼瓦が埋め込まれている。いい色に焼けてるなあ、と思ってよくよく見たら口の中になんと仏様。なかなか面白いことをやってくれる。
6/11追記
この鬼ってもしかしたら地獄の閻魔大王のつもりなのかな?とするとこれは「地獄で仏」ってことか。そういえばこの塀の向うは墓地になっている。
オリンパスのE300を使い始めて一年になる。デジカメでこれほど長く使ったのは他にない。レンズは35ミリのマクロレンズ一本のみ。このブログの写真は昨年の4月から(正確には4月12日から)ほとんどこれだけで撮ってきた。ズームレンズは便利だと思うが単焦点レンズが好きなのだ。従来のフィルムレンズに換算するとほぼ70ミリ。ブログの写真サイズにはこれがちょうどいい。
中国陶器の精華ともいうべき端正な青磁、天目。日本桃山期のエネルギーを髣髴とさせる志野、織部、灰釉。岡部嶺男の作品をこれだけ集めた展覧会はおそらくこれが初めてだと思う。確かな技術の上に伝統を越えていく造形力。どれもレベルが高い。
ただ以前から気になっていたのが写真のバックにも写っている縄文をたたきつけたシリーズ。自分の体重と同じくらいの粘土のかたまりに向けて縄目をたたきつけている。解説によれば野球のバットくらいの木を使っていたらしい。土を叩くという行為は裏返せば自分自身を打ちすえる行為でもある。それほどの葛藤がいったいどこからくるのだろうか。
そうした疑問に対するヒントのようなものをこの展覧会では知ることができた。それは彼の戦争体験。図録の年表から抜粋してみると
昭和15年 太平洋戦争始まる。東京物理学校(現・東京理科大)を中退。窯業学校時代から描いていた油絵をリヤカー3台分焼却して入営。1944年(昭和19年)まで中国山西省各地を転戦。
昭和19年 フィリピンへ転戦。マニラに上陸。弟・四郎が学徒動員中に名古屋の空襲で爆死。
昭和20年 ルソン島で米軍に敗北、仲間9人とジャングルに逃げ込む。決死行で5人だけが生きのびる。8月、敗戦。米軍の捕虜となり、マニラ郊外の捕虜収容所で1年4ヶ月を過ごす。弟・裕、中国にて戦死。
昭和22年 復員
戦争で二人の弟を亡くし、そして自らはおそらく何人もの敵兵を殺したであろう6年余の歳月。縄文シリーズを読み解くカギはここにあるように思う。
岡部嶺男展 東京国立近代美術館工芸館(竹橋)にて5月20日(日)まで。
いま憲法改変の動きがあわただしい。しかし議論の前に我々の世代は憲法9条に守られてきたということは確認しておきたい、そしてそれは幸いであったということも。これを変えると言うならばそれ相応の覚悟が必要だ。(5/12 追記)
縄文シリーズについて「気になる」と書いたが、正確にいえば青磁や天目の完成度の高さに対して縄文シリーズは表現が生(なま)。このギャップが気になる。
一人の作家が抱え込んだこれだけの振幅のずれ。この大きな揺らぎのなかに岡部嶺男という人間が見えてくる。(5/12 追記)
昨日の日曜日は大磯の山で野焼きのお手伝い。雑木林に囲まれた山間の畑。春の青空。子供たちの粘土作品を焼きながら贅沢な時間を過ごすことができた。火のそばではにぎやかな宴会も。ホイルで包んで焼いたタケノコ。サツマイモ。山菜の天ぷら。セリ。エシャレット。中華おこわ。スモークチーズ。マトンカレー。「〆張鶴」。飲み過ぎに食べ過ぎ。どうもごちそうさまでした。
大学の先輩である武吉廣和さんの個展案内状が届いた。今回は壷展らしい。写真の壷は口造りやなで肩のラインなどから純朴な古信楽を思わせる。古信楽は日本の焼き物が到達した一つの理想郷。モノはモノであるにとどまらず精神の風景をも表す。この壷の造形を見れば彼の目指しているものがよく分かる。
「白龍」の銘を持つこの壷だがここまで焼き込まなくても、、、とは思うが実際はどうなのだろう。実物を見てみたいところだが高知はちょっと、、、遠いなあ。
ホームページがありました。http://www1.ocn.ne.jp/~takeyosi/
Tさんからの依頼で作った分骨用のお骨箱。高さ6センチほど。このくらいの大きさだとお墓の中だけでなく仏壇やサイドボードなど身近なところにも置いておける。大きなお墓もいいけれどこんな弔いの仕方もあるんだな。
朝から強烈な暑さでどうなることかと思っていたら昼過ぎからゴロゴロ。激しい雷雨の後は再び日差しが戻ってきたが気温はさほど上がらず湿度も気にならなかった。
久しぶりの西日を受けて白磁の湯のみが透けている。物質を貫く光の力。そういえば夏至はもう3週間以上前のこと。梅雨空が続いていたのでそんなことも忘れていた。
展覧会最終日、搬入の時ほどではないが搬出時の梱包もそれなりに体力仕事。今回は友人二人が手伝ってくれたので助かった。焼き物は一人で出来る仕事ではないと感じ始めている。
藤沢の住宅街で見かけた花。折り紙で作ったような白い花がかたまって咲いていた。
焼き物は「工芸」として括られることが多い。そして用途や機能。重さ、軽さ、大きさ、バランス。さらには水漏れ、汚れ、カビなどに対してさまざまな要求が押し寄せてくる。だがそれらに真面目に対処しようとすればするほど自分自身はますます不自由になっていく。「機能」という怪物にいつのまにかがんじがらめにされている自分に気がつく。焼きものは単に自分の息遣いの痕跡であっていいのではないか。
今日使った道具を片付けていたら陶芸専用の道具が一つもないことに気がついた。並べてみると料理用と塗装用の道具ばかり。特に料理器具は役に立つものが多くホームセンターへ行くたびに台所用品のコーナーでいろいろと物色してくる。手前のピザカッターは土の板を切るのに便利。
削りはシッタ(削り台)や乾き具合などの条件がぴったり合えば快適な作業なのだが今日はあまり良くない。内側のカーブが微妙に違っていてギクシャク。おかげで夜になってもまだ終わらない。
電球や蛍光灯の明かりが混じっているのでホワイトバランスがとりづらい。これは磁器土なので実際はきれいなオフホワイト。
書く、掻く、描く、画く、刻。文字は違うが何ごとかを記録し痕跡を残すという意味では同じ行為といえる。音も同じ(似ている)。
こぶしほどの大きさの粘土にびっしりと刻まれた文字。何か呪文のようなことが書かれているのかと思ったら何のことはないECONOMIC DOCUMENTとあった。取引記録、あるいは契約書のようなものか。素焼きされたような色だが当時は焼かずに土の状態で何度も繰り返し使われたらしい。こうして残っているものは意図的に焼かれたというよりむしろ火事などで偶然焼き固まったのではないかとのこと。
粘土の使い方としては器よりも文字を記すメディアとしての用途のほうが古いのではなかろうか。去年イスタンブールの考古学博物館で初めて楔形文字の現物を見たときにそんなことを思った。土と文字とのマッチングのすばらしさ。土の柔らかさがあってはじめて生み出された文字。つまり土と文字は不可分の関係だったのだ。古代シュメールに始まってメソポタミア全域に広がっていたらしい。
というわけでこちらも現代日本文字を記してみることにした。記したのは「愛」の一文字。なぜかって、、、まあそのとき聞いていたネーネーズの歌の中に出てきたのだナ。
♪ 島唄に出会い 愛を見つけた
たいせつな記憶が よみがえる ♪
木を相手にしていると気持ちまでも穏やかになるようだ。やきものと違って窯の中でおお化けすることもないかわりにすべてが台無しになるようなこともない。作業の間の思いや時間がそのまま蓄積され、ストレートに結果として現れる。
これは横須賀で工房を開くHさんからの依頼で作ったもの。形式はウチで使っているものと同じ。つまりこれは第二作となるわけだ。サイズは縦横が92x171。重さは50キロ以上あるかもしれない。この上で土を練ってもビクともしないように頑丈に出来ている。こうした作業台はいざ探すとなるとなかなかないものなのでたまにだったら注文を受けてもいいかも。木工は楽しいし。
加守田章二は「光りもの」が苦手だったんだな。光沢のある釉薬の晴れがましさが。
ガサゴソとした乾いた土肌。備前などによくある土味や媚びといったものが入り込めない意思の風景。加守田を現代陶芸の祖たらしめているのはこのテクスチャーの発見だ。そしてそれを生かす文様と面。さらにはそれらの面を生かす形。
加守田の作品はそれ自体で完結しているので「用」という要素は薄い。しかしあくまでも器でありつづけていて、その一線は決して越えていない。それがおびただしいほどの亜流を生み出している原因とも思える。一方その線を越えた八木一夫には亜流は生まれにくい。
加守田章二展。東京駅のステーションギャラリーにて10月23日まで。
今回の苦労の原因は土。ここ数年使いつづけている土だが徐々に質が落ちてきていたようだ。以前のものと焼き色を比べてみて愕然。おまけに変形も大きい。あわてて別の土で作り直して切り抜けることができたが、冷や汗。今後はいい土が見つかったらトン単位で確保しておかないともう安心できない。
早朝には花の姿にも生気が満ちている。名前は分からないが雨に濡れた青い色が美しい。
1970年の大阪万博のシンボルは岡本太郎作「太陽の塔」。今から思えば「陽のあたる坂道」をバブルに向かってまっしぐらに進んでいた時代。満月工房という名前を思いついたのはそのあとだった。動脈から静脈へ。「モーレツからビューティフルへ」。これからは月の時代だと思ったのだ。
あれから35年。今年の愛知万博にはなんと「月の塔」ができるらしい。なんとなくパロディっぽいが、これで少しはバランスがとれるのかも。35年の月日は長かったのか、短かったのか。その間に失ったものはあまりにも大きい
写真は大皿の足。円錐形で見た目はいいが使いにくそう。ボツだな。
近くの小学校の子供たちが作った作品を焼いてあげることになり、現在素焼き中。
それにしても一つひとつにこめられた想いとエネルギーの活きの良さ。こういう開放感はしばらく忘れていた。見ているだけでこちらまで元気になりそう。日本の子供たちも学校もまだまだ大丈夫みたい。
日本画の平岩先生との二人展。初めての試みなのでどうなることかと思ったが、なんとかかたちになってとりあえずは一安心。それにしてもぎりぎりまであわただしい。毎度のこととはいえ少しは反省しなくては。
台風が過ぎてからりと晴れるかと思えば相変わらずの雨模様。天気にメリハリがないので気分もすっきりしない。近くの田んぼでは収穫前の稲がだいぶ倒されていた。まともに稲刈りできるのだろうか。
鶴や白鳥などの白い鳥も清流には棲まない。川の下流や湖沼そして水田などを餌場としている。だからというわけではないが鶴首の壺。ほとんど生地のまま、純白に焼き上げる予定。泥の中から鶴、、、になるかな?
台風の置き土産。仕事場が湖になった。こんなひどいのは初めて。粘土混じりの水の中で長靴を履いている。まるで田植え前の田んぼのようだ。
こんな中で白磁を作るなんて、泥の中から蓮を咲かせるようなものか。まあ、ものは考えようだが、それにしても難儀なことですわ。
梅雨の合間の貴重な晴天。空気も澄んでいて木の葉の緑が鮮やかに見える。外を歩けばあちこちで紫陽花が開き始めている。写真の皿は最近の試作だが雰囲気が紫陽花に似ている。別に意図したわけではないが偶然の一致。紫陽花磁とでも名付けるかな。
空模様がすっきりしないと思っていたら夜になって雨。一時かなり激しく降った。早くも梅雨の前触れか。
手動式のたたら伸ばし機を譲り受けた。版画に使うプレス機と同じように上下のローラーで粘土をはさみ、均一な厚さの土の板(たたら)を作ることができる。これからどんな風に活躍してくれるのかな。
先日、信楽から取り寄せた灰は見事にハズレ。灰とはいってもかなり土が混じっているようで色もきたない。数年でこれほど質が落ちているとは思わなかった。そこでまたあらたに数種類取り寄せてテスト。簡単なようで実は手間ヒマかかる骨のおれる作業。これで思い通りのものが見つかればいいが、なければ作品計画をはじめから考え直すことになりそう。
明日は大磯の知人宅で蕎麦の会。これから蕎麦つゆ作りをはじめるところ。
FMでキース・ジャレットの特集をやっていて、「My back page」が流れてきたので思わずボリュームを上げた。何十年ぶりかで聴くこの演奏は思いのほかのんびりしていて、60年代だということを思い知らされた。
このレコードはジャズ喫茶で聴いて欲しくなり、新宿、紀伊国屋の2階にあった輸入レコード店で買った覚えがある。すぐそばの「ピットイン」でアルバイトをしていた頃。大学1年の夏だったかな。その後、たしか浦和の建築家Y君にあげた(譲った?)はず。まだ持っているだろうか。そういえば豊田勇造もこの曲を聴いてピアノを練習していたなんて話していたっけ。
そんなことを考えながらロクロを挽いていたらやっぱりダメ。ロクロにジャズは合わないようだ。リズムのはっきりした音楽では集中できない。全部つぶしてまた練りなおし。まだまだ腕が未熟デス。
午後10時過ぎ、久しぶりにぐらっと揺れた。千葉県北西部でM4.2とか。3月頃から全国的に地震が多い。小刻みにエネルギーが発散されて大地震が回避できればいいのだが、そんな希望は通じるかな?
花器に鎬を入れてみた。曲面の肌に直線。なかなか面白い。
焼き物に使う土灰というのはもちろん土の灰ではなくて雑木の灰のこと。なぜ土灰と言うのかは分からない。色が似ているからかな?昔はかまどの灰をかき集めたものをそう呼んでいたのだと思う。いろんな木の灰が混ざっているので成分は季節や産地によって様々。
最近は土灰を使った昔風の灰釉をよく使っているのだが、今年になって灰を変えたとたんに釉が安定しなくなった。ブクやアクが出てしまう。そこでまた新たに取り寄せたのが上の写真。これは信楽から。明日の窯で早速テストする予定。
朝から冷たい雨。箱根では積雪20センチとか。花冷えどころか花雪。薪ストーブ用の薪が残り少なく、おまけに煙突も詰まり気味なので暖房は灯油ストーブだより。ちょっと心もとない。
本焼きの途中で温度が上がらなくなった。調べてみると窯の外の配線部分が熱で断線していた。窯の中でなくて良かった。応急修理して回復。予定より4時間おくれで午後7時に本焼き終了。
暖かくなって風のにおいも変わってきた。外を歩いているとどこからともなく沈丁花の香りが漂ってくる。そんな春の気配に誘われたわけでもないが、磁器土で輪花鉢を作ってみた。ロクロで垂れる寸前まで薄くのばし、ふちを3ヶ所ないし5ヶ所持ち上げる。ほんのちょっとした細工なのに表情ががらりと変わって面白い。
今夜の大久保クンのゴール。拍手、拍手。日曜日の土佐の走りもすごかった(マラソン)。今さらながらテレビのありがたみを感じるこのごろ。
使わなくなった屋外の電気配線部分に古い碍子(がいし)が付いたままになっていた。最近あまり見かけないのは配線の方法が変わってきたのかな。よく見ると面白い形。量産の実用器具だけれども、単に実用だけを考えて作られたとはとても思えない。デザイナーのたしかなセンスを感じる。
ロクロまわりのテーブルはほぼ出来たけれども、最後の仕上げでちょっと迷ってしまった。今まではウレタン塗料で固めていたが、これがどうも納得いかなかったのだ。迷ったあげく、今回はイギリス製のワトコオイルで仕上げることにした。耐久性や耐水性は未知だが、少なくとも木材や人間にはやさしい塗料のようだ。作業もラク。途中で頭が痛くなるようなこともなかった。明日、全体のレベルを調整すれば完成。これでようやく土仕事が出来る。
晴れてはいても雲が多くすっきりとしない天気。しかし気温は高く、昼間はストーブがいらないほど。
胡麻炒りのほうろくは小さすぎてしかもバランスが悪い。これでは使いにくい。でも改良点がいろいろ見つかったのは良かった。次回はいいのが焼けるだろう。
数日前の寒波で土が凍ってしまった。ロクロを挽いてから2日くらい経っていたのでもう大丈夫だろうと油断していたのだ。ロクロの目に沿って細かいひびが入っている。こうなったらもうどうしようもないのでまた土に戻すことになる。少しでも水分が残っているうちは気が抜けない。
薪ストーブを使えるようにしたのはそのため。熾きをたっぷり残して空気の取り入れ口をふさいでおけば室内でものが凍りつくようなことはない。熾きは翌朝まで残っているのでその上に薪を足せばすぐに火がついてくれる。
お粥鍋ではじめて豆を煮てみた。名前は聞きそびれたけれども薄い緑色をした豆で形は大豆より少し大きめ。一晩水につけてから弱火でコトコト。ふっくらやわらかく煮ることが出来た。こういうトロ火料理には土鍋が向いているようだ。圧力鍋よりも平和的だし、味もいいように思う。
60年代のイメージは灰色。70年代はオレンジ。80年代は青。90年代は濃紺。2000年代はまだはっきりしないが、少なくとも2003年は黒だった。世の中の動きが自分自身の気分をも変えるのか。今年作った焼きものはほとんど黒ばかり。
来年からはまた白い焼きものも意識して手がけてみたい。
毎日快晴。雲ひとつない天気が続いている。天気がいい日は夜に入って冷えるが、でも氷点下にまでは下がってないので土が凍りつくようなことはない。むしろこのくらいだと空気が乾燥しているのでかえって土の乾きがはやくて助かる。
外に出してあるレンガが西日を浴びている。このレンガは昭和30年代のもの。現代のプレス成型でツルツルしたものとは違い、形も表面もいびつ。糸きりのあともそのままだし、大きな石も入っている。だがレンガはこれでいい。太陽の光を浴びると焼き色がいっそう美しく見える。
土鍋用の土が余ったので「ほうろく」を作った。胡麻を炒るのに欲しかったのだ。フライパンを使うと火加減が難しく、弱火で炒ってもどこかがこげている。ちょっと小さめだがこれならまんべんなくきつね色に出来るだろう。ほうじ茶にもいいかな。
新潟のコシヒカリ玄米をもらったのでこのところ玄米ばかり炊いている。使っているのはおかゆ用に作った土鍋。実はこれがなかなかいい。水加減や火加減を工夫して何回か炊いてみたが、いつもふっくらとやわらかく炊ける。我ながら感心。いままで玄米というのは固くてごわごわした印象が強かったのだが、見方が変わった。圧力鍋で炊いたのとは味も違うような気がする。
この形の土鍋はいままでは「お粥鍋」としていたが「お粥&玄米鍋」と呼び方を変えようかと思っている。12月のshopに間に合うかな?
雨の予報だったのに夕方まで晴れ。でも暗くなってからパラパラと降ってきた。
今日は思い立って土練機の分解修理に取りかかった。粘土の押し出しが遅く、ずいぶん前から気になっていたのだ。羽根のまわりやケースに硬くなった土がこびりついてスムーズに粘土が流れなくなっている。羽根を全部分解し錆を落とす。午後から始めたので今日中には終わらなかった。真空ポンプも音がうるさくなっているがこれは素人では無理。
昨夜から雨。日中は晴れ間も出ていたのに夜になってまた降りだした。風は南風で暖かく湿っぽい。こんな日は粘土練り。最近活字頭になっているのでこういう単純作業は目にも体にもいい。
ラグビーはスコットランドに大敗。でもいいゲームだったみたい。サッカーは引き分け。F1は、、、ま、こんなものかな。
今日はゴボウのきんぴらを作った。我流にしてはいい出来。
注文していたロクロがやっときた。外観は従来型と似ているが中の構造は全く違う。一番の相違点はダイレクトドライブ方式になったこと。つまりモーターの回転軸と回転板が直結している。これまでは変速を行うのにプーリーを使って機械的に回転数を変化させるという原始的な方法がとられていた。そのため音と振動がひどかった。
早速電源を入れてみた。無音。レバーを押すと音もなく回転し始める。モーターの音はほとんど聞こえない。それより回転板の風切り音のほうが大きいくらい。評判通りの静けさ。もちろん振動もない。
思えば去年の四月、この欄で「どこかに音も振動もなく回る気持ちのいいロクロはないものだろうか」と書いたが、一年経ってそれがこうして現実のものになっている。もしかしてメーカーの人もこれを見て開発したのかな?
それはともかく、やはり製造業にとって競争があるというのはいい。これからは枯れ葉の落ちる音さえ聞きながらロクロ仕事が出来るのだ。ありがたい。
神具の三方をアレンジして作り、「香台」と名付けた作品は用途などは特に考えていなかった。まあ、塩を盛ったり、つまみ入れにしたり、もちろんお香もたいたりできるかな、、、などと漠然と思ってはいたけれども、なんとこんな使い方もあったのだ。これは新しい発見。実際、植物付きで買ってくれた人もいた。またまたFさんに感謝。
陶器は焼き上がってからも若干吸水性が残っていて、花器などに水を入れたままにしておくと底がしっとりと濡れていたりする。水漏れを防ぐには内側にシリコンなどの撥水材を塗るか、きめの細かい土を選んで使う。ただ吸水性のない土というのは粒子が細かく、収縮が大きくて困る。
今回の土は吸水性はほとんどない。そのかわり収縮はすごくて、作ったときと比べると感覚的には2割近く小さくなったような気がする。このギャップには未だに慣れない。
須恵器の壺を考えていたら、それがいつのまにか丸いドーナツ状になり、面白い花器になった。中は空洞なので穴の開け方でいろいろ楽しめる。色は風化した須恵器の黒。環器(かんき)と呼ぶことにした。
会場ではFさんがシダを生けてくれた。根元には何かの黒い実。こういうことは自分ではできないのでありがたい。