チャーリー・へイデンが亡くなったとのこと。彼が主宰してきたリべレーション・ミュージック・オーケストラには高校時代から何度励まされてきたことか。どうしようもなく落ち込んでいたときなど大音量で聞いていたな。ありがとう。
何年か前にも一度取り上げたことがあるToumani Diabate(トゥマニ・ジャバテ)。この人も代々グリオの家系に生まれた人。歌はなく、繊細でリズミカルな楽器(コラ)だけの演奏。
先日W杯サッカーで日本代表を破ったコートジボアールの選手たちに敬意?を表してアフリカのグリオの音楽をYouTubeで聞いている。グリオというのは吟遊詩人と考えたらいいんではないかな。この人はAblaye Cissoko(アブレイ・シソコと読むのか?)というセネガル出身の演奏家。珠玉のような曲が山ほどあってどれも格調高い。できれば歌詞が知りたいところだ。この夏のテーマミュージックになりそう。
自身のテレビ番組でゲストにトム・パクストンを迎えたひとコマ。曲は「ランブリン・ボーイ」。日本では高石友也が歌っていた。http://youtu.be/IihexmIXTek
いつまでもエラやアニタを真似てる場合じゃない。日本人(東洋人)には日本人のジャズ・ボーカルがある。今日YouTubeではじめて聞いたアン・サリーという人。いいねえ。久しぶりにCDが欲しいと思った。本業はお医者さんらしいがプロとアマ、あるいは二足のワラジ。さらには東洋と西洋、日本と韓国などなど。いろんなことを考えさせられるがそんなことを全部溶かし込んで歌声が響く。ああ、人の声って花に似てるな。
曲はソウル・フラワー・ユニオンの中川敬の作。阪神大震災の後にできた歌らしい。
パソコンが普及してからは音楽の聴き方が一変した。先ずCDプレイヤーを使う機会がめっきり減った。音楽CDはパソコンに取り込み、イヤホンジャックからスピーカーに送るという流れ。なんといっても手軽で便利なのだ。mp3ではなく無圧縮の最高音質で取り込むと結構満足できる音になる。ただ、これを従来のオーディオ装置とつなぐにはどうしたらいいのかさっぱりわからなかった。
そこで先日、本屋で見つけたこの本。パソコンを中心とした音楽再生のノウハウが網羅されていて頭の中のモヤモヤが取れた。たとえばパソコンのセッティング、OSやソフトの選び方、ファイルの形式などなど。
ハード面ではUSB−DAC、つまりパソコンとUSB接続できるDAC(デジタル・アナログ・コンバーター変換機)が必要だということもわかった。流れとしてはパソコン→USBケーブル→DAC→アンプ→スピーカーとなる。検索したらUSB−DACは数千円のものから数十万円のものまでピンからキリまである。まだ黎明期なのでこれからさまざまな試行錯誤が繰り返されることだろう。
さらには24ビットの音源も再生できるようになるので、これはCDの音質をはるかに超える。ということは音楽の流通までも変えることになるかもしれない。(たとえばCDではなくUSBメモリーで販売されるようになるとか)。うーん、なかなか面白くなってきたな。
高音質保証! 麻倉式PCオーディオ (アスキー新書)
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ガザル(ウルドゥー語の歌謡曲)の大スター、ジャグジット・シン(Jagjit Singh)が亡くなったらしい。年末からYouTubeをあれこれ聞いていて初めて知った。昨年の10月10日、70歳だったとか。声が良く、声量があって古典声楽の基礎の上に現代感覚がピリリと効いている。日本の演歌にも通じるこぶし。おかげでこの正月は頭の中をジャグジットが駈け巡っている。できれば歌詞を知りたいところ。
カレンダーを見ていて気がついた。クリスマスは冬至の三日後だ。夜の時間より昼間の時間が長くなる、つまり闇夜の勢力より光の勢いが増してくるこの時期にこの祭りがやってくる。すべての生き物(北半球の)にとって喜びの祭りでもあるはず。
♪ 今でも 同じように見果てぬ夢を描いて 走り続けているよね どこかで ♪
今年は学生時代の友人が二人逝ってしまった。寒さが沁みる年の瀬、クリスマス。
ジャズというのは久しく聞かなくなっていたけれども、このあいだ歩きながらふとコルトレーンの吹くマイ・フェイバリット・シングスが頭に浮かんでそれがずっと残っていた。家に帰ってからYouTubeで探したらありましたね、あったあった。すごいライブ映像。1961年ころか。フルートはドルフィーさんかな?レコードでは何度聞いたことだろう。たちまち記憶のスイッチが入りそのころのいろんな場面が一気によみがえる。感謝。
「無絃の大琴懸けて宇宙の中央にあり。万物の情、万物の心、悉(ことごと)くこの大琴に触れざるはなく、悉くこの大琴の音とならざるはなし。」北村透谷(万物の声と詩人)
ラーガについて考えるとき、いつも透谷のこの文章を思い出す。風のざわめき、木の葉の揺らぎ、蟻の足音、大河の流れ。とにかくこの世のすべての森羅万象は溶け合って壮大なシンフォニーを奏でている。それがラーガだ。その調べは季節や時の流れとともに様々に変化していくだろう。したがってラーガは無限に存在する。そしてその中からとりわけ特徴的な響きを類型化しメロディーではなく音階として固定化されたものが古典インド音楽で演奏される個々のラーガということになる、、、と、これは異文化人の勝手なラーガ解釈だけれどもそれほど的外れではないと思う。
シタール演奏家、堀之内幸二氏の新作はインド音楽のラーガに真正面から取り組んだ意欲作。今後数十年かけて60余りのラーガのすべてを録音、CD化していこうという壮大な計画のこれが第一歩。ちなみにワタクシもジャケットデザインで参加させてもらってます。
欠航や遅延が続き、その上的確なアナウンスもないときなどはイラつくよねえ。南米ブエノスアイレスの空港でのひとコマ。カウンターに乗客が押しかけ険悪な雰囲気に包まれたとき、放送用のマイクをつかんだ黒服のおばさん、じゃなくておねえさん。えっ!この顔、この声。本当にシンディー・ローパー本人だ。歌の力で一瞬でその場の緊張を和らげる。えらいね、五重◎
春夏秋冬、永遠に繰り返される自然界の営み。それに比べて人の世の出会いと別れのなんとはかないことか。いい時は瞬く間に過ぎ去り二度と戻ってこない。
ニール・ヤングも演奏も若いときのまま。リバイバル・コンサートなのか。
♪ 千鳥がちゅいちゅいと鳴く 私はひとりぼっち
ともに泣き明かしておくれ 千鳥よ ♪
民主党政権にとってのトゲとなっている沖縄米軍基地問題。その始まりに昭和天皇の沖縄メッセージと言うものがあることをはじめて知った。米軍が沖縄に駐留することを昭和天皇が希望していたという内容。池田香代子さんがブログに詳しく書かれている。http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51514436.html
1975年といえば大学四年のころか。いろいろな出会いがあり別れもあり、成功と挫折、光と影、大切なものもガラクタも区別されないまま混在していた。道は四方に無限に伸びており世界の隅々まで見渡せると思っていた。たとえどの道を進んだとしても、そのために状況がどんなに違っていたとしても自分自身は何も変わっていないだろうという自信?はあるな。
「芸術は目指すべきものではなく生きるものだ。今のこの瞬間をピチピチと生きることなのだ。」というようなことを若いころには考えていたっけ。
熱海のホテル大野屋が民事再生法申請とか。たしかピアニストの大野雄二さんの実家ではなかったかな?そんなことを教えてくれたのはジャズ研でギターを弾いていた松尾君だったな。長崎出身で神田川沿いのアパートに住んでいた。今ごろどうしているんだろう。また会いたいもんだ。
大野さんといえば熊本に笠井紀美子がきたときその伴奏が彼だったと思う。高校生の分際で生意気にもそんなコンサートへ行ってたんだな。当時はスイング・ジャーナルの愛読者だった。NHKの「小さな旅」のテーマ曲も彼の曲だったと思う。大野屋と聞いて昔のいろんな思い出がとりとめもなく湧いてきた。
河口付近の水は黒々として流れも緩やか。目を凝らすとその下には巨大な鯉が無数に泳いでいる。
♪ あいつは おとこ 一緒に 働き 一緒に さまよった 雨の日も 風の日も ♪
♪ 今祈る 流れ者 あいつに 幸あれと 今祈る 一人旅 この旅に 幸あれと ♪
ピート・シーガーがホスト役のテレビ番組の録画のようだ。若き日のトム・パクストンとピート・シーガー。日本では高石友也が訳して歌っていたと思う。うろ覚えながら上記がその歌詞。
♪ くりかえし何故とたずねても 振り払え風のようにあざやかに ♪
人は皆 望む答えだけを 聞けるまで たずね続けてしまうものだから ♪
厳しい現実より甘い嘘にひかれるのは人情だけど、そこがまた利用されやすいんだな。
♪ 夢ふたたび教えてくれたのはディランでもスプリングスティーンでもなく朝もやをついて走る滝沢正光 ♪
ん?タキザワ?マサミツ?・・・誰?
いきなりそんな名前出されても分かるわけないよねえ。どうやら競輪の選手みたいだけどもう引退してるのかな。
友川かずきという人は名前は知っていたけども実際に聞いたことはなかった。YouTubeはありがたいね。
新宿ゴールデン街の一角に作られた「ゴールデン街劇場」。客席は多く見積もっても40くらい。詩と歌のライブ「IT時代の昔語り」はここで開かれた。出演は古川豪、中川五郎、有馬敲、岡大介の四氏。それぞれにいい場面はたくさんあったのに終わってみればどうも印象がぼやけてしまっている。ライブはやはりワンマンショーがいいみたい。
知り合いのデザイン事務所(ガルメラ商會)から眺めた新宿の夕焼け。御苑の先にそびえるのはドコモ・ビル。どうしてあんなにとんがる必要があるんだろうか。もしかしてアンテナのつもり?
ジャズ研時代の同期会のため早稲田へ。懐かしい顔と言葉を交わせば時間の壁は瞬時に消え去る。互いの近況を語りつつも消息の知れない人が多いことにも気が付く。あの人もこの人も今ごろどこで何をしているのやら。
大隈講堂で聞いたOBによるビッグバンドは圧巻。久しぶりに生きたJAZZを聞いた気がした。これこれ、これだったんだな。数十年前のJAZZまみれの日々は決してムダではなかった。
あったらいいなあ、と思うもの。オーディオ用ハード・ディスク・プレイヤー。最近は携帯音楽プレイヤーが流行りだがその本格オーディオ版があったらいいなあと思うのだ。音楽はできるかぎりいい音で聴きたい。レコードからCDに変わって便利になった反面、失われたものも多い。CDという形式にとらわれることなく、音楽の情報量を出来るだけ忠実に記録、再現できるプレイヤーがハード・ディスクを使って出来ないものだろうか。できれば大手メーカーではなくマニアックな中小ビルダーが競い合って製品化してくれたら面白いと思うのだが。
♪ はじめての街で いつもの酒
やっぱり俺は 菊正宗 ♪
聞き覚えのある懐かしい歌声。西田佐知子が歌うキクマサのテレビCMがリバイバルしている。検索してみたら驚いたことにこの歌には原曲があることが分かった。正式なタイトルは『初めての街で』。作詞は永六輔、作曲は中村八大というゴールデンコンビ。早速YouTubeに出てました。
http://jp.youtube.com/watch?v=Z90Y5ZCi7ZU
写真は「アカシアの雨がやむとき」
http://jp.youtube.com/watch?v=WkXSA-s2xwc
同じ1970年頃に「大関」のCMソングを歌っていたのが加藤登紀子で作詞・作曲は小林亜星。日比谷野外音楽堂での「ほろ酔いコンサート」でもやけに受けていたことを覚えている。
http://jp.youtube.com/watch?v=HnMf9sil-cY
ピアノを弾ける人がみんなピアニストになれるわけではない。それは日本語を話せる人がすべて詩人にはなれないのと同じようなことだ。学習や訓練は大事だが時にはそれ自体が音楽をスポイルしてしまうこともある。音楽家とは生きた音楽を奏でられる人。そのためには演奏家自身が活き活きと生きていなければならず、あるときは子供のように、あるときは哲学者のようになにものにもとらわれず、いかなる先入観や偏見からも自由であること。
今日の昼間に放送されていたNHKのスーパー・ピアノ・レッスンは面白かった。マリア・ジョアン・ピレシュというピアニストはぜんぜん知らなかったが、ウーンこんな人がいたんだな。言葉はスペイン語かポルトガル語のようだ。厳しい訓練でがんじがらめになった生徒の頭に柔らかい命の息吹を吹き込んでいた。
演奏家は機械ではない。音楽は自分の外にあるものではなく自分の中から生まれていくもの。このことは表現者にとっては天動説と地動説ほどの違いがある。若い彼らにどこまで通じるだろうか。もう遅いかもしれないけどまだ間に合うかもしれない。どちらにしてもこんなレッスンを受けられた子供たちはラッキーだ。
テレビではピレシュと表記されていたがピリスというのが一般的な呼び名のようだ。久しぶりにピアノが聴きたくなってきた。ピアノの響きをすみずみまで再現できるオーディオ装置が欲しい。
午後から横浜の赤レンガ倉庫前で開催されているアフリカン・フェスタへ。渋滞にあって焦ったがセク・ベンベヤ・ジャバテのステージにはなんとか間に合った。3人のギタリストによる簡素なステージ。音楽の印象を言葉で伝えるのは難しいが、たとえばそよ風が揺れるような軽やかさ。哀愁を帯びたメロディー。フラメンコを連想させるようなギター・ソロ。世界にはまだまだすごい人がいるもんだ。聞きながらどこかで聞き覚えのあるサウンドだと思っていたが帰り道、コラの音色に近いことに気がついた。
たとえばこんな音楽です。
http://jp.youtube.com/watch?v=0DEKQjj6Ga0
豊田勇造のライブ映像をGENKI君がYouTubeに登録してくれた。事務所公認。必見です。
アドレスが変わりました。
新しいリンク先。http://jp.youtube.com/user/waterlandmoon
今後少しずつ曲目を増やしていく予定です。(8/8加筆)
パソコンや車の中で聴いていた時は音が硬いなと思っていたが家のオーディオでかけたら全然違った。歌もギターも柔らかくしかもクリアー。録音、マスタリング共に非常にうまくいったようだ。
CDの最後にはボーナストラックが1曲入っていてこれはギターとマンドリンのデュオ。まるでゴンチチかと思わせる完成度(それ以上か?)でこれはギターファンならずとも必携でしょう。とにかく曲、歌、ギター、録音そしてジャケットに至るまでよくぞここまでまとめあげたものだ。大ヒットの予感あり。タイコバンです。
日曜日は友人の車に同乗させてもらって久しぶりに(三年ぶりか?)吉祥寺へ。マンダラ2での豊田勇造ライブ。共演はもちろん続木徹(ピアノ)。
雨の日にもかかわらず客席は満員でしかも同年代の人が過半数。今回は新作CDの発表を兼ねているので収録曲を中心にしたプログラムだった。いつもの体育会系のパフォーマンスは影を潜め始めから終わりまで静かなバラード。歌、ギターそしてピアノ、それぞれの音の細部のディテールまでしっかり聴き取ることが出来た。内に秘めたものが大きい分、伝わってくるものも大きい。レコーディングの緊張感をうまく自分のものにしているのかもしれないし、あるいは彼自身の表現の質が変わってきているのかも。これは面白いことになってきた。
新作CD「夢で会えたら」http://www.toyodayuzo.com/はギター2本に歌というシンプルな構成。この世の人もあの世の人も陽だまりの中で軽やかによみがえる、そんな歌のかずかず。これも新境地といっていい。豊田”ポップ”勇造の誕生か。とにかくマニアだけでなく万人にお薦めできる作品です。
「ブラザー軒」
♪ 東一番丁、ブラザー軒
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん
氷を噛む音。
♪ 死んだおやじが入って来る。
死んだ妹をつれて
氷水喰べに、
ぼくのわきへ。
♪ 色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら。
♪ 細い脛だして
細い脛だして
椅子にずり上がる
椅子にずり上がる
♪ 外は濃藍色のたなばたの夜。
肥ったおやじは小さい妹をながめ、
満足気に氷を噛み、
ひげを拭く。
♪ 妹は匙ですくう
白い氷のかけら。
ぼくも噛む
白い氷のかけら。
♪ ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
おやじはひげを拭く。
妹は氷をこぼす。
♪ 簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん
氷を噛む音。
♪ 死者ふたり、つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。
♪ ふたりには声がない。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
ふたりにはぼくが見えない。
♪ 東一番丁、ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の、向うの闇に。
詩/菅原克巳
「高田渡読本」で面白いのは巻末に載せられている譜面。解説には弦の種類、チューニングの方法、カポタストの位置などもあり親切。これから歌を始めようという人たちには多くのヒントを与えてくれることだろう。
「ブラザー軒」は宮崎駿のアニメ映画になりそうな一情景。死者にたいする愛情にあふれている。
検索していたらYouTubeに「ブラザー軒」が登録されていた。これは驚いた。話しには聞いていたけどすごいサイトがあるもんだ。インターネットが進化していることを実感した。一見、一聴の価値あり。こちらです。http://www.youtube.com/watch?v=MVY_UdyWhao
「漣」
♪ 漣とぼくはいる
二人でいる
野原に座っている
空を見上げている
見えるものはみんな人のものだよ
うんと漣はいう
親のぼくも頭が弱いが
どうやら息子の漣も似ているらしい
見えないものは ぼくらのものだよ
うん
腹へったか
腹へった
詩/高田渡
小柄な体にヒゲだらけの顔。風貌は老人のようだが歌いだすと声は驚くほど野太い。ギターは控え目ながら一音一音がくっきりと響き、すみずみまで神経が行き届いている。たとえれば背骨が真っ直ぐにとおった音楽。そして歌の合い間の語りは志ん生の落語そっくり(かなり聞いていたのではなかろうか)。
彼の歌は一曲が短い。ちょうど俳句のように現実を歌いながらもいつのまにかするりと現実をすり抜けていく。目には見えない大切なものを目に見えるもの(歌)にして伝えたかったんだな。
「高田渡読本」では前掲の詩を含めて6篇の詩に僕の写真を添えていただいた。
「夕暮れ」
♪ 夕暮れの町で
ボクは見る
自分の場所から はみだしてしまった
多くのひとびとを
♪ 夕暮れのビヤホールで
ひとり 一杯の
ジョッキーを まえに
斜めに 座る
♪ その目が この世の誰とも
交わらない ところを
えらぶ そうやって たかだか
三十分か一時間
詞/黒田三郎・高田渡
亡き人のことを冷静に偲ぶことができるようになるには2年という月日は短すぎるのかもしれない。この本は彼の友人たちによる追悼文集のおもむきがあるが、いまだに生々しい証言があふれていて高田渡という音楽家をリアルタイムで体験しているような充実感がある。ディスクガイドも秀逸。
「高田渡読本」音楽出版社刊。編集は浜野智さん。
♪ 一言文句を言う前に
ホレ先生よ ホレ先生よ
あんたの生徒を信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい
道徳教育 こんにちは
おしつけ道徳 さようなら
あんたの知らない明日がある
ホレ明日がある ホレ明日がある ♪ 「学生節」
押入れのゴミの山をかき分けてようやく見つけ出した45回転のシングルレコード。発売されたのは東京オリンピックのころ。あのころはヒット曲でこんな歌詞が流れていたんだな。好きだったなあ、植木等さん。ご冥福を。
素材が木から鉄に変わっても日本の橋は赤く塗られることが多い。神社の塗り橋と同じように、異なる世界の境界線(結界)をあらわす色。
浅川マキの歌に「赤い橋」というのがあった
♪ ふしぎな橋がこのまちにある
渡った人はかえらない、、、♪
作詞は北山修、メロディーは思い出せないが。
丹沢山中にもあった「赤い橋」。渡った先は、、、行き止まり(車両通行止め)でした。
去年トルコへ行った時、イスタンブールの空港で買ってきた3枚組のCD。単純なサズの弾き語りが聞きたいと思って探したらこの人のものが何枚かあった。
盲目の詩人で歌と演奏は高橋竹山によく似ている。あるいはミシシッピー・ブルースとか。解説もほとんどなく歌詞もまったく分からないのだが歌というより叫びに近い。生きることの苦しみ、存在の悲しみ。寒くなってからよく聞いている。これも人類の遺産とすべき歌だと思う。できれば歌詞を知りたい。
なおASIKのSは下にヒゲの付いたトルコ文字なので表示はできないが発音は”sh”。したがって日本語での読み方はアシク・ヴェイセルでいいと思う。
2001年9月11日。あれからもう5年が過ぎた。いろんなことがありすぎてどう整理すればいいのか、、、。子供のころに思い描いた21世紀はこんなではなかったのに。世界は確実に愚かな方向へ向かっている。ギャングとヤクザ者が支配する世の中(いつの時代もそうか?)。鉄腕アトムはどこにもいない。
ボブ・ディランの新作「モダン・タイムズ」も5年ぶりのアルバム。全体がゆるい作りになっていて懐かしさを誘うが歌詞は激しい。
♪ 喋ったりしていない、ただ歩いているだけ
苦悩に満ちたこのくたびれ果てた世の中を
・・・
喋ったりしていない、ただ歩いているだけ
あの夜からというものずっと歩いている ♪
「Ain't Talkin' 」 対訳:中川五郎
古き良き「モダン・タイムズ」への郷愁か、あるいはこれから年老いてゆく合衆国への愛情と絶望か。とにかくボロボロになるまで聴きつづける愛聴盤となりそうだ。
京都の「拾得」以来、三年ぶりに聞く勇造バンド。長旅の疲れも見えたがバンド自体は熟成が進んでいる。たとえて言えばニール・ヤングとクレイジーホースバンドか。体の芯まで響くベースとドラムのリズムが心地よく、出だしから早速のせられてしまった。久しぶりにライブを満喫。
フィリップ・グラスの「Liquid days」が急に聴きたくなって探したがどうしても見つからない。どこへいったのやら。誰かに貸したかな?探し物は見つからなかったがその途中で懐かしいものがいろいろ出てきた。テリー・ライリーの「シュリ キャメル」もその一枚。発表は1980年。日本ではYMOが活躍していたころか。録音データを見ると使っている楽器はヤマハのYC-45-Dという電子オルガン。細かく繰り返されるキーボードの旋律がリズミカルに幾重にも重なりあいゆらめいていく。まるで万華鏡の中に吸い込まれるような酩酊感。マンダラ的なジャケットも面白い。アマゾンでちょっとだけ試聴できます。こちら。「Liquid days」も。
ギターのようだがギターとは呼ばない。モハン・ビーナ。この人はスパニッシュギターを改造したものになんと自分の名前をつけて呼んでいる。インド音楽は座って演奏するのでギターもこのように寝かせてスチールギターの要領で弾くようになったのだろう。ちょっと怪しげだったが聴いてみたら演奏は一流。音質もすばらしい。まさにワンアンドオンリー。わが道を行く音楽家。こういう人がいるからインドは面白い。
今日も仕事場にこもりきり。単純作業が多いので古いCDをいろいろ聞いている。TALKINGHEADSの「REMAIN IN LIGHT」は1980年。つまり25年(四半世紀!)前の作品。フォトモンタージュで作品を作っていたT君が持ってきて聴かせてくれたのが最初だったかな。アフリカ的なリズムに単コードのメロディー。当時はずいぶんとんがった音に聞こえたものだが今ではむしろおとなしい部類か。これも20世紀の古典になりそうな気がする。
♪ The wind in my heart The dust in my head
The wind in my heart Come to Drive them away ♪
「LISTENING WIND」 前後省略
「心に吹く風よ 脳味噌の中の埃を吹き払ってくれ」、、、日本語にするとかなりテレる歌詞。
今日は天気がすっきりしないので一歩も外へ出ず、仕事場の中でディランの古い歌ばかり聴いていた。
「ジョン・ウェズリー・ハーディング」は1967年発表。
♪ ジョン・ウェズリー・ハーディングは貧乏人の見方
二丁拳銃で田舎町を荒らしまわったが
カタギの衆を怪我さしたなんて話は聞いたことがない ♪
仁侠映画風に訳するとこんなぐあいか。1967年といえばビートルズ来日の翌年。田舎の中学生(当時3年生かな?)は何を考えていたのやら。
ニューヨークで活動しているいとこのnaoクンの新譜。いとこと言ってもまだ若い30代。これだけ年代が違うと音楽体験も嗜好も違ってあたりまえ。したがって初めは取っ付きにくかった。しかしあるとき車の中で聴いたら妙に懐かしい気がした。初期のYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を思い出した。例えればミステリアスなYMOと言ったらいいだろうか(というか実は他に比べるものを知らないのだが)。密度の濃いマイルドなサウンド。これは日本でもヒットするかもしれない。売れて欲しいな。NAOクンのオフィシャルサイトはここ。試聴もできます。ただし英語。日本語のブログはここ。
今回の旅行中に買ったサズという楽器。旧市街の船着場で盲人の演奏家が弾き語りをしているのを聞いて欲しくなってしまった。長さは1メートルほど。弦は7本だが2本、2本、3本、と三つのグループに分かれているので演奏上は3本弦と同じに扱える。3本弦ならギターの半分なのでこれはやさしそうだと思ったのだが、、、。
簡単な解説書を見てもチューニングの方法がたくさんあってなにが何だか分からない。しかもフレットの間隔も不規則で固定されてない。ウーム。かなり手ごわそう。
このところ仕事場のCDプレイヤーに入れっぱなしになっているのがキース・ジャレットの弾くゴールドベルグ変奏曲。先月、キースのCDについて短い文章を書くことになり、あらためて聴きなおした中の一枚。
グレン・グールドによって再発見されたゴールドベルグだが、こちらはピアノではなくハープシコード。しかも録音は日本。場所は八ヶ岳高原音楽堂、1989年の1月!外は真冬の銀世界だったに違いない。揺れ動くダイヤモンド・ダスト。静かなる躍動感。昼といわず夜といわず、そして写真のような明け方の薄闇の中で流れていてもまったく違和感がない。
♪ 夜明け間際の吉野屋では 化粧のはげかけたシティ・ガールと
ベイビィ・フェイスの狼たち 肘をついて眠る ♪
♪ 向かいの席のおやじ見苦しいね ひとりぼっちで見苦しいね
ビールをくださいビールをください 胸がやける ♪
♪ あんたも朝から忙しいんだろう 頑張って稼ぎなよ
昼間・俺たち会ったら お互いに「いらっしゃいませ」なんてな
狼になりたい 狼になりたい ただ一度 ♪
中島みゆき「狼になりたい」 途中略
中島みゆきを初めて意識したのはこの歌を聴いてからだったと思う。20代の女性がこんな詞を書いていることに驚いた。1979年ころ、まだコンビニもなかったはず(たぶん)。このころから吉野屋は24時間営業だったのかな。狂牛病だなんてSFですら想像出来なかった時代。
♪ 俺のナナハンで行けるのは 町でも海でもどこでも
ねえ あんた 乗せてやろうか
どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも ♪
当時オートバイに熱中していて、ちょうどナナハンに乗っていたこともあり、そのこともあってこの歌は記憶に残っている。CDでもあればもう一度聴いてみたい。
オートバイといえばチェ・ゲバラの青春時代を描いた映画があるらしい。「モーターサイクル・ダイアリーズ」。製作はロバート・レッドフォード。医学生だったゲバラが故郷アルゼンチンからチリ、ペルー、コロンビアへとオートバイに乗って旅をするロードムービーとか。これは久しぶりに見てみたい映画。
ゲバラで思い出すのは高校時代の体育祭でゲバラの大壁画を描いた人。池田クン。あのころは幕末の坂本竜馬、高杉晋作と同じようにゲバラは現代のヒーローだった。その池田君もすでに故人だ。
Like a bird on the wire, like a drunk in an old midnight choir, I have tried in my way to be free...
♪電線の上の一羽の鳥のように
真夜中の聖歌隊の酔っぱらいのように
ぼくはぼくなりのやりかたで自由になろうとした、、、 ♪
レナード・コーエン「電線の鳥」 三浦久訳
雨上がりの夕暮れの空、電線の上に群れから離れて一羽のカラス。こんな光景を見るとレナード・コーエンのこの歌を思い出す。自由であること。簡単なようだがその代償は大きい(しかし開放感はそれ以上に)。
♪ 空にさえずる 鳥の声
峯(ミネ)より落つる 滝の音
大波小波 とうとうと
響き絶やせぬ 海の音
聞けや人々 面白き
この天然の 音楽を
調べ自在に 弾きたもう
神の御手(オンテ)の 尊しや ♪
♪ 春は桜の あや衣(ゴロモ)
秋はもみじの 唐錦(カラニシキ)
夏は涼しき 月の絹
冬は真白き 雪の布
見よや人々 美しき
この天然の 織物(オリモノ)を
手際(テギワ)見事に 織りたもう ♪
作詞、武島羽衣。作曲、田中 穂積。1905年(M.38)
沖縄の島歌の名手、大工哲弘が歌う「美しき天然」。録音は1996年。20世紀初頭に作られた歌をその世紀末に歌っている。バックでは梅津和時、中尾勘二、大熊亘といったクセモノ達がチンドン的なにぎやかさで哀愁のメロディーを奏でる。他には高田渡の「生活の柄」、おなじみの「ゴンドラの歌」そして「インターナショナル」など。沖縄人、大工哲弘が振り返る20世紀流行歌全集といった趣き。アルバムのタイトルは「JINTA INTERNATIONALE」だけれども歌詞は「JINTANATIONALE」に聞こえてくる。
「美しき天然」の続きは
♪ 神のたくみの 尊しや
うす墨ひける 四方(ヨモ)の山
くれない匂う 横がすみ
海辺はるかに うち続く
青松白砂(セイショウハクサ)の 美しさ
見よや人々 たぐいなき
この天然の うつし絵を
筆も及ばず かきたもう
神の力の 尊しや ♪
♪ 朝(アシタ)に起こる 雲の殿(トノ)
夕べにかかる 虹の橋
晴れたる空を 見渡せば
青天井に 似たるかな
仰(アオ)げ人々 珍(メズ)らしき
この天然の 建築を
かく広大に 建てたもう
神のみ業(ワザ)の 尊しや ♪
土がゆっくり乾いてくれるのはいいがあまり遅いのも困る。展示会の前だと特に焦る。先週からのこの天気。もうそろそろ晴れて欲しい。
曇り空に活を入れてくれる最近の元気の元。豊田勇造の「血を越えて愛し合えたら」。
♪ 草を焼く匂いのする 河原に住んで思うことは
最近みんなきれいになりすぎて 最近みんなおとなしすぎて
道は憧れのジャマイカへ 道は憧れのジャマイカへ ♪
録音は1980年。単身ジャマイカに乗り込み、現地のミュージシャンたちと作り上げた日本語のレゲエ。発売当時は演奏と歌がなんとなくミスマッチに思えたものだが、今聞いてみると肩を張ったような日本語の歌がかえって新鮮で面白い。
小俣夫妻は富士山をはさんで三島市とはちょうど反対側の富士吉田市在住。日曜日のギャラリーコンサートには二人で来てくれて、バッハからオリジナル曲までたっぷり演奏してくれた。音楽のエッセンスに満ちたひととき。聴衆の皆さんにも大好評だったようで、メデタシ、メデタシ。アリガタシ。
帰り際にはうなぎ屋でお礼かたがたの打ち上げ。初めて食べた三島のうなぎ。某有名店ではなかったがなるほどと納得。うなぎ特有のヌルヌルした油っぽさがなく身も皮もさっくり。これはどうやら湧き水(硬水)に秘密があるらしい。会期中にあと2回くらいは食べてみたい。
梅雨の合間の晴天が続く。このぶんだと今年はから梅雨か、と思いきや、大型の台風6号が気がかり。台風のシーズンはお盆以降だと思っていたが最近は様子が違ってきた。地球規模で気象が変わってきているのかな。
知念良吉の歌を初めて聞いたのは吉祥寺の「MANDALA-2」。朗々と響く声にたちまち引き込まれてしまった。南国の歌い手なのに歌詞には悲しくせつない影がつきまとう。オキナワの歴史も現実もすべてを背負っているのだ。生まれは1952年。(なんと同年!)。今、とても気になっている歌うたいの一人。
ヒリアード・アンサンブルの歌声にヤン・ガルバレクが即興でサキソフォンを重ねていく「officium」は今回の個展会場での「music for gallery」。
ヒリアード・アンサンブルは完成度の高さではクラシック界随一ではないかと思うが、なんだか蒸留水のようで面白みには欠けていた。彼らとヤン・ガルバレクをジョイントさせたのはいったい誰のアイデアなのだろう。ヤンの切り裂くような音が加わることで緊張感が一気に高まり、中世の宗教曲も現代の音楽となっている。録音は1993年、ドイツECM。
曜日の感覚がなくなっているが、今日は日曜日。NHK FMでは夜9時から北中正和さんの「ワールド・ミュージック・タイム」。毎週聴いているので一週間過ぎたことをこれで実感できる。今夜はファドの特集。懐かしいアマリア・ロドリゲスの歌もあった。非欧米圏の音楽を聴く機会は少ないのでこの番組は貴重。
他によく聴いているのは竹村淳さんのラテン音楽。これは火曜日の午後。あとは鎌倉FMでジャズ。ここは夕方から深夜、そして明け方までほとんどジャズを流しているのでBGM的に聴くにはいい。
今日は一日雨。ブラックベリーの花も雨に濡れている。明日も雨らしい。
戦争、テロ、人質、、、いったいどうなってしまったのか。真っ黒い泥沼のような絶望感。ウソが平気でまかり通る世界。ペルシャ湾やクウェートでは米軍の後方支援をしながら、イラク国内では人道復興支援だなんて。偽善もいいところ。日本語はどうなってしまったのか。
気持ちが滅入ってしまうような日々が続くが、そんな中で最近の元気のもとはこれ。チャーリー・ヘイデンが組織するリベレーション・ミュージック・オーケストラ。仕事場で大音響で聴いている。まだまだあきらめてはいけない。
仕事場の音環境が良くなったので居心地がいい。最近良く聴いているのはバッハのリュート作品集。演奏はナルシソ・イエペス。1972年の録音。バロック・リュートは音量も低く繊細。現代の西洋楽器のもつ押し付けがましさがないので仕事の邪魔にならなくていい。
今日はとうとう一度も外へ出なかった。こういう日も多い。
修理しても直らないとあきらめていたCDプレイヤーを引っ張り出してつないでみたらちゃんと動いてくれた。何がどうなっているのか。10年以上前の機械だがその間修理に出したのが4回。デジタル機器は気まぐれなのでこれがいつまでもつか分からない。CDが誕生してからほぼ20年。そろそろ壊れない安定したプレイヤーができないものか。
ロクロの下にBOSEのスピーカーを設置した。今のところFMラジオしか聴けないが音環境は快適になった。これはBOSEの最初期型のスピーカーで形は5角形。前面に8個、後ろに1個、合計9個のスピーカーがついている。左右合わせれば18個。ただし低音はまったくでない。超高音も苦手。したがって西洋楽器や電気楽器には役不足。でもヒューマンサウンドにはぴったり。人間の声(歌声)は見事に再生してくれるし世界中のほとんどの民族楽器もこれで十分。FMだけではもの足りないので、次はこれに合うCDプレイヤーが欲しくなってきた。
♪チムチムニー チムチムニー チムチムチェリー
わたしは 煙突そうじやさん♪
薪の燃えが悪くなってきたので煙突掃除。ススがどっさり出てきてそこらじゅう真っ黒。これがなければ薪ストーブも楽なのだが。月に2回くらいは掃除が必要のようだ。
ジュリー・アンドリュース主演の映画「メリー・ポピンズ」で歌われた歌。日本語で歌っていたのは誰だったか。雪村いずみ?江利チエミ?どうも思い出せない。
昨夜は吉祥寺にて豊田勇造ライブ。MANDALA2では定番化している続木徹(ピアノ)とのセッション。先月の清水寺での公演がなかなか好評だったようで、本人も気を良くしての東京ツアー。
大舞台を経験するごとに人は変わっていく。今回は歌にもギターにも余裕を感じたし、なかでも歌い方がだいぶゆったりしてきたと思った。歌詞をなぞるのではなく、歌を表現し伝えていこうという意思が感じられた。本来の声の良さに加えて歌唱力も堪能。歌も音楽もこのくらいビンビン生きてなくちゃね。
夕方、寒いとおもって外へ出てみたら風が生暖かくて驚いた。昨日までの寒さはなんだったのか。
最近車の中で聴いているのはディランの30周年記念ライブ。1993年の録音。ウィリー・ネルソン、ニール・ヤング、クラプトン、ザ・バンド、オージェイズ、G・ハリスンなどなど、、、。すごいゲストがディランの曲を歌っている。みんないいが、中でも圧巻はゲストがかわるがわるソロをとる「My Back page」。
Ah,but I was so much older then,
I'm younger than that now.
昔はずいぶん年寄りじみていた
あのころより今のほうがずっと若い
そういえばこのコンサートにはシンニード・オコナーも出ていたはずだがCDには入っていない。たしか観客のブーイングでとうとう歌えなかったはず。ディランの聴衆ですらこんなことをするのだ。アメリカはこのころからおかしかったのかもしれない。ところで彼女はその時何を歌うつもりだったのだろう。
日曜日に大根をもらったので切り干しにしようと思ったら二日続けて雨や曇り。おかげで乾燥する前に黒く黴びてきてしまった。干物作りは天候しだい。最近、天気予報とその精度が気になり始めた。
ブズーキというのはギリシャの弦楽器で形はマンドリンとギターに似ている。図書館で借りてきたこのCDはギリシャのヒット曲集。軽快なリズムは中学、高校時代のフォークダンスを思い起こさせるし、メロディーはロシア民謡のよう。懐かしいような、せつないような。
歌詞が分かればさらに楽しめるのだろうが、分からなくても楽しめるのはブズーキの音色のせいなのかな?
作曲家、吉村弘さんの訃報。もうずいぶん前に数回お会いしただけなのに、そのやわらかい印象がいまだに強く残っている。最初はソプラノサックスを吹く前衛音楽家だと思っていた。でも話を聞いてみると音を出すよりもむしろ音を作ったり、あるいは音を聞く方が好きな人だということが分かった。環境音楽ということを考えておられて、それは現実には駅の発車時の音となって結実している。(てっきりJR新宿駅の音だと思っていたら、地下鉄南北線だった)
「沈黙」という緊張感のある言葉ではなく、「静けさ」というような柔らかい俳句的な言葉が似合う人だった。合掌
キース・ジャレットのケルン・コンサート。録音は1975年。人に貸していたCDが返ってきたので久しぶりに聴いている。
1975年、どんな年だったか記憶も曖昧だが、海の向こうでは同じ20代の人がこんな音楽を作っていた。泥臭さを残しながらも上へ上へと上昇していく音楽はバロックの大聖堂を思わせる。彼のソロピアノの演奏がオブジェだとすれば近年のトリオによるスタンダードはさしずめ前衛陶芸家の作る抹茶碗といったところか。どちらも好みではあります。
そういえば今日は猫の命日。もう4年前になる。写真も整理しなくては。今日の酒は会津の「天明」。どっしりと濃い。